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宮城県体育歌 : ミニ英和和英辞書
宮城県体育歌[みやぎけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

宮城 : [みやぎ, きゅうじょう]
 【名詞】 1. Imperial Palace 
宮城県 : [みやぎけん]
 (n) Miyagi prefecture (Touhoku area)
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [けん]
 【名詞】 1. prefecture 
体育 : [たいいく]
 【名詞】 1. physical education 2. gymnastics 3. athletics 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 

宮城県体育歌 ( リダイレクト:輝く郷土 ) : ウィキペディア日本語版
輝く郷土[かがやくきょうど]

輝く郷土」(かがやくきょうど)は日本都道府県の一つ、宮城県1946年昭和21年)に制定した2代目の県民歌である。作詞・遠山徳男、作曲・福井文彦
本項では同じSPレコードのB面に収録されている「宮城県体育歌」(みやぎけんたいいくか)についても解説する。
== 解説 ==

宮城県には1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦以前から1938年(昭和13年)に発表された「宮城県民歌」が存在していたが、戦前に制定された他の県民歌の多くと同様に1945年(昭和20年)の終戦を境として演奏が控えられるようになった。そのため「戦争により荒廃した県土の復興と理想の郷土を新たに築くための士気高揚」を制定意義とする「復興県民歌」として新たな県民歌を作成することになり、宮城県と旧「宮城県民歌」制定を主導した河北新報社が合同で歌詞の公募を実施した〔「宮城県民歌ってご存じですか?」 東北放送『若生哲旺 Goodモーニング』)〕。
蔵王山松島青葉城など県内の名所を歌い込んだ旧「県民歌」に対し、本曲は五七五調で労働の喜びを歌い上げて新しい郷土の建設にかけた意気込みを表現するものとなっている。1952年(昭和27年)には、日本コロムビア藤山一郎安西愛子の歌唱によりレコードを製造した〔。このレコードのB面には宮城県・山形県福島県が共同開催する第7回国民体育大会(東北3県国体)に合わせて作られた「宮城県体育歌」(作詞・小川保、作曲・福井文彦)が収録されている。
宮城県の公式サイトでは旧「県民歌」も「輝く郷土」と合わせて紹介されているが、現在の正式な県民歌については2代目の「輝く郷土」1曲のみと規定している〔中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌 』(東京堂出版2012年) ISBN 978-4-490-20803-0 、31ページ「表1 都道府県の歌の制定年」。〕。ただし「輝く郷土」も旧「県民歌」も1960年代から1970年代にかけて廃れていた時期があり〔、この当時の資料では県民歌を「未制定」とするものが多い〔国民文化協会『事典 シンボルと公式制度 日本篇』(国際図書、1968年)、143ページ。〕〔藤沢優『世界の国旗・国歌総覧 付・日本都道府県別県旗県歌総集』(岩崎書店1976年)、450ページ。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「輝く郷土」の詳細全文を読む




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