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「宮城県民歌」(みやぎけんみんか)は、1938年(昭和13年)に日本の新聞社・河北新報社が実施した公募により選定された宮城県の初代県民歌である。 作詞・高松茂夫、作曲・東京音楽学校。 == 解説 == 河北新報が昭和13年9月15日発行分で紙齢1万5000号となることを記念して河北新報社が宮城県教育会と合同で公募を実施し、土井晩翠を委員長とする選定委員会が応募された1527編の歌詞を審査した。その結果、小学校教員を休職中の高松茂夫が応募した歌詞が入選作となり、11月29日付の河北新報紙面で発表された〔宮城の郷土史、103ページ。〕。作曲は主催者が東京音楽学校に依頼したもので、制定の目的は「東北の中心的、指導的使命を全うするための士気を鼓舞し、愛郷精神の滋養を図る事」とされている。 太平洋戦争終結の翌1946年(昭和21年)には、いわゆる「復興県民歌」として宮城県と河北新報社が合同で歌詞を公募した「輝く郷土」が2代目県民歌として新たに制定されたため7年余りと短命であったが、県の公式サイトでは初代「宮城県民歌」も「輝く郷土」と合わせて紹介されている。ただし、宮城県では現在「輝く郷土」1曲のみを正式な県民歌と規定しており〔中山(2012)、31ページ「表1 都道府県の歌の制定年」。〕、秋田県の2代目「県民の歌」に対する初代「秋田県民歌」のような対等に並立する形とはなっていない。 1952年(昭和27年)発行の社史『河北新報社小史』および1967年(昭和42年)発行の社史『河北新報社の七十年』では、いずれも初代「宮城県民歌」と誤って「輝く郷土」の歌詞を掲載していた〔宮城の郷土史、106ページ。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮城県民歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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