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宮城 頼久(みやぎ よりひさ、元亀元年(1570年) - 慶長14年(1609年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。山崎片家の子。宮城豊盛の養子。従五位下、右京進。 == 生涯 == 元亀元年(1570年)、近江国の武将・山崎片家の子として誕生。後に豊臣氏の家臣・宮城豊盛の養子となる。 頼久もまた豊臣氏に仕え、天正15年(1587年)には豊臣秀吉による北野大茶湯で前田玄以とともに奉行を務めた。慶長5年(1600年)、養父・豊盛が関ヶ原の戦いで、西軍に属し大坂城平野橋を警護したため、戦後に所領を没収、養父とともに徳川氏に仕えた。慶長10年(1605年)、実兄の山崎家盛より但馬国二方郡43村6014石を分知され上級旗本として芦屋に陣屋を構えた。慶長11年(1606年)には駿府城石垣の普請を務める。 慶長14年(1609年)、死去。墓所は金戒光明寺の塔頭永雲院。子の十二郎(後の宮城豊嗣)は5歳と幼かったため、養父・豊盛が家督を再相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮城頼久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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