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大聖院(だいしょういん)は広島県廿日市市宮島町にある真言宗御室派の大本山の寺院。山号は多喜山(たきやま、「滝山」とも)、多喜山大聖院水精寺(すいしょうじ)と号する。 宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院である。観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されている。 大聖院は中国三十三観音第十四番札所、山陽花の寺二十四か寺第一番札所や、広島新四国八十八ヶ所霊場第八十七番札所でもあり、紅葉の名所でもある。 摩尼殿への階段には摩尼車が多数設置され、また、弥山への登山ルート入り口に隣接すること、高台からの眺め、昔からの風情を残す周囲の街並みから、エンターテイメント性に富んだ寺院であると言える。 御詠歌:ひとのよの こころのやみを てらすなり ひじりのてらの のりのともしび == 歴史 == 当院の草創については定かでない。伝承では、大同元年(806年)に空海が宮島に渡り、弥山(みせん)の上で修行し開基したといい、鳥羽天皇勅命の祈願道場となったという。ただし、空海と宮島の結びつきは、史実としては確認できない〔平凡社『日本歴史地名大系 広島県の地名』の「弥山」の項による。〕。 古くは「水精寺」と称し、安元3年(1177年)の「伊都岐島水精寺勤行日記注進状案」及び同年の「太政官牒案」〔いずれも野坂文書(厳島宮司・野坂家伝来)のうち。〕に「水精寺」と見えるのが文献上の初見である。従来の説では、この頃の水精寺は宮島島内ではなく、対岸の本州側にあったと考えられている。 ただ近年、弥山の本堂周辺から、奈良-平安時代頃の緑釉陶器や仏鉢などの遺物が採集されており、水精寺は古代から宮島島内にあったのではないか、とする指摘もある〔妹尾周三「安芸厳島(伊都岐島)弥山水精寺の創建について」 『佛教藝術』第304号(2009) 毎日新聞社〕。 1887年(明治20年)の火災で大部分の堂宇を焼失し、現在ある堂宇はその後整備されたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大聖院 (宮島)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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