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宮島幹之助 : ミニ英和和英辞書
宮島幹之助[みやじま みきのすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

宮島幹之助 : ウィキペディア日本語版
宮島幹之助[みやじま みきのすけ]

宮島 幹之助(みやじま みきのすけ(かんのすけとも読む〔村上〕)、明治5年8月12日1872年9月14日) - 昭和19年(1944年12月11日)は、寄生虫学者。正字表記は宮嶋幹之助。
== 略歴 ==
〔村上この稿の著者は酒井シヅ
山形県生まれ。父は宮島家久。1893年、宮島酉蔵の養子となった。第一高等中学校に入学したが、ドイツ語教師が昆虫学者のアドルフ・フリッチェであったことから、志望を医科から理科に転科した。第一高等学校を経て、1898年東京帝国大学理科大学動物学科卒。大学院に入学。日本産無脊椎動物、とくに腔腸動物を専攻した。1900年、尖閣諸島で信天翁(アホウドリ)を研究。しかし実際の目的はマラリアの研究で、東京への帰途、立ち寄った京都大学医学部衛生学教室に入局を決めてしまった。指導教官は動物学第3代教授の箕作佳吉ツツガムシ病原媒介体としての赤虫の研究を行い、理学部出身者として初の医学博士となる。学位論文は「本邦産アノフェレスについて」。同年中にシマダラカによる媒介を証明した。1901年京都帝国大学医科大学講師となり、寄生虫学を担当。1903年内務省所管で北里柴三郎が所長である、国立伝染病研究所入所。宮島は痘苗製造所技師となり、ツツガムシ、マラリア、日本住血吸虫ワイル病の研究に従事。1904年、北里の命で、セントルイス万国博覧会に出席。1905年、伝染病研究所の部長に昇任。その後、マレー半島のマラリア調査、ブラジル移民の衛生状態調査、台湾地方病および伝染病調査委員の嘱託など、たびたび海外に派遣された。1914年、伝染病研究所移管時は、北里とともに辞職。北里研究所の初代寄生虫部長となる。1919年、慶応大学医学部開設時にも関与し、1929年、予防医学教室の初代就任教授となる。1921年、国際連盟保健機関の日本代表となる。欧米都市の衛生状態を視察した。1923年、関東大震災で自宅は被災したが、後藤新平内相の依頼を受けて、臨時震災救護部で活躍した。1924年第15回衆議院議員総選挙に当選、代議士となる。1929年、国際連盟がらみの仕事として、1935年まで、阿片中央委員となる。1938年北里研究所副所長となる。1944年12月11日、日比谷公園付近で起きた自動車事故のため急逝した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮島幹之助」の詳細全文を読む




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