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宮崎 奈穂子(みやざき なほこ、1986年4月10日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。東京都出身。慶應義塾大学文学部在学中の2007年に、自主制作のCD『優しい青』でデビュー。路上ライブを週5日以上行い〔では、年間300日以上としている〕、約4年間で計80,000枚のCDを手売りしたとされる。2010年に仲間と立ち上げた音楽事務所で「1年間でサポーター15,000人を集めたら、日本武道館で単独公演を行う」という目標を立て、356日目で達成。2012年11月2日に日本武道館での単独公演を行い、約6,000人の観客を前に13曲を披露した。2012年12月より、希望者のために1年間で365曲を作る「歌・こよみ365」という目標に挑戦し、2013年11月に達成。代表作に、自身の道のりを綴った曲『路上から武道館へ』がある。ローソンのパスタブランドのテーマソングや、テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」のエンディングテーマなどを手がけた。 「宮崎 菜穂子」は誤記。 == 来歴 == === 夢のスタート === 物心ついた頃から、テレビの向こう側の世界の歌手に憧れていた。 しかし、思春期に入ると容姿に劣等感を抱え、学校では人気者の同級生を羨ましく見ている、どちらかといえば目立たない存在だった。 「笑われるのが怖くて歌手になる夢なんて口にできなかった」という。 大学に入ってからも歌手への憧れは変わらず、大学1年の終わりに「このまま就職活動を始めたら一生後悔する。可能性を試しきってみよう。」と決意する。 デモテープを延べ40社以上に送ったが反応はなかった。 ボーカルスクールに通いながら、作曲家がコンペに提出する曲に仮歌〔正式な歌詞がついていない曲につける仮の歌のこと。デモテープの記事も参照。〕を吹き込む仕事をmixiのコミュニティで探して次々と応募した。 デモ音源がビクターのディレクターの目に止まり、秋山奈々専属で仮歌とコーラスを担当する歌手に起用された。 ボーカルスクールのレッスン費の減額を受けるために宮崎が提出していたデモテープが、ボーカルスクール併設のレーベルであるシアーレーベルの担当者の目に止まったことから、大学3年生になった2007年に同レーベルからCDを出すことが決まった。 CD発売を数カ月後に控えた大学3年生の夏、初めての路上ライブを渋谷駅前で行った。 友達に借りたキーボードとマイクスタンドを抱えて、混雑するハチ公前ではなく、西口の歩道橋前に立った。だが、なかなか声を出せない。やっと歌い始めても誰も立ち止まってくれず、通り過ぎる人々の視線が冷たく感じられた。自分の歌は街の喧騒の一部でしかなく、自分は誰にも必要とされていない人間のように思えてきた。「もうダメだ。これを歌ったら帰ろう」。2曲目を歌い終えて楽器を片付け始めた時、スーツ姿の男性が「いい歌でしたね」と声を掛けてきた。涙があふれた。「あのひと言があったから、路上ライブを続けられた」という。 その年の10月5日、1stシングル『優しい青』を発売した。3ヶ月で1500枚を販売する目標のもと、路上ライブを本格的に開始した。 台風や大雨の日以外はほぼ毎日、夕方の5時から8時くらいまで路上に立った。寒さの厳しい日は、キーボードを弾く手が真っ赤になった。 1stシングルの目標は72日目で達成し、歌手としてやっていけるかもしれないという希望が見えたという。 その矢先、宮崎はスランプに陥ったという。翌年2008年の3月に2ndシングルを発売し、3ヶ月で3,000枚を販売する目標で路上ライブを始めたが、なかなか人が立ち止まってくれず、CDも売れなくなった。 「あなたの歌からは何も伝わらないね」と厳しい言葉をかけられ、泣きながら帰る日もあった。 泣くと翌日の路上ライブでは声が出なくなり、また失敗する悪循環が続いた。 それでも「顔が特別きれいなわけじゃない。ほかのアーティストに比べて、才能もない。何もないから、動くしかない。」という思いで、毎日路上に立って歌い続けた。すると「俺も昔は夢を追いかけていたんだ」「就職活動がうまくいかないけど、頑張ろうと思った」などと声をかけてくれる人が現れた。 私の夢を支えてくれているのは、路上で出会った人たち。そのことに気付いたときから、宮崎はスランプを脱出できたという。 会社員が職場に毎日出勤するように、宮崎は路上に毎日「出勤」するようになった。宮崎の路上ライブは、キーボードの弾き語りである。場所決めからセッティングまで、スタッフを伴わずに一人で行う。自分の背丈ほどあるキーボードを背負い、アンプや販売用のCDなどの機材を積み上げたカートを一人で押して、電車に乗って移動する。 これらの荷物の総重量は50kgに達するという〔では、30kgとしている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮崎奈穂子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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