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宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月15日 - 1989年(平成元年)12月30日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形、800mリレーの金メダリストである。 == 経歴 == 静岡県湖西市出身。浜松一中(現:静岡県立浜松北高等学校)時代に15歳の若さでロサンゼルスオリンピックに出場。身長179cm、体重66kgの恵まれた体躯を生かし、100m自由形でジョニー・ワイズミュラーの記録を破る58秒2の五輪新記録で金メダルを獲得、アメリカのこの種目の連勝を6でストップさせた。 同レースの2日後に行われた800mリレー(大横田勉の代役として急遽出場)では第1泳者としてチームを牽引し、8分58秒4の世界新記録で2個目の金メダルを獲得した。水泳日本の黄金時代を築いた。宮崎本人は「中3から中4の1カ月間、何故こんな奇蹟的事実が私の身辺に起こったのか。この奇蹟の担い手に何故、私が選ばれたのかわかりません。」と回想している。続く1936年のベルリンオリンピックにも参加した。 浜松一中を卒業後、100m銀メダリスト河石達吾との縁で慶應義塾大学法学部に進学し、水泳部キャプテンを務めた。戦後は1954年から18年間、兵庫県西宮市に住み、日本水泳連盟理事を務めるなど後進の指導に当たった。これらの功績が認められ、1989年9月にはIOC(国際オリンピック委員会)から五輪功労賞銀賞を受賞した。 家族は妻マサ子、長女真美、次女阿古(呉文彦に嫁ぐ)、孫に呉文里、呉夏穂がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮崎康二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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