|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 才 : [さい] 【名詞】 1. ability 2. gift 3. talent 4. aptitude 5. genius ・ 一 : [いち] 1. (num) one
宮村 才一郎(みやむら さいいちろう、1893年(明治26年)6月〔『人事興信録』第14版 下、ミ102頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。官選県知事。旧姓・大島。 ==経歴== 新潟県出身。大島久作の二男として生まれ、同年、宮村寅吉の養子となる〔〔『新編日本の歴代知事』842頁。〕。第一高等学校を卒業。1918年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業〔〔。民間企業に勤めた後、1922年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年、内務省に入省し岐阜県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』238頁。〕。 以後、山梨県西山梨郡長、同北巨摩郡長、地方事務官として山梨県・福岡県各勤務、佐賀県書記官・警察部長、鳥取県書記官・内務部長、岐阜県書記官・総務部長、内務書記官・地方局監査課長、東京府書記官・総務部長などを歴任〔。 1940年4月9日、奈良県知事に就任。戦時下の対応に尽力〔『新編日本の歴代知事』724頁。〕。同年11月9日、神祇院教務局長兼造神宮理事に転じた〔『官報』第4155号、昭和15年11月11日。〕。1942年6月15日、広島県知事に転任。戦災を受けた住民への支援などに尽力〔。1943年7月1日、内務省国土局長へ転任〔『官報』第4940号、昭和18年7月2日。〕。同年11月1日、防空総本部施設局長を兼任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』94頁。〕。1945年4月21日、依願免本官となり退官した〔『官報』第5479号、昭和20年4月23日。〕。戦後に公職追放となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮村才一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|