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宮田和幸 : ミニ英和和英辞書
宮田和幸[みやた かずゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 

宮田和幸 : ウィキペディア日本語版
宮田和幸[みやた かずゆき]

宮田 和幸(みやた かずゆき、1976年1月29日 - )は、日本男性レスリング選手、総合格闘家茨城県水戸市出身。土浦日本大学高等学校日本大学文理学部卒業。BRAVE主宰。
テイクダウン能力に自信を持っており、自ら「総合格闘技で世界一」と語っている〔365人インタビュー 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年6月29日
【DREAM】10・6“テイクダウン世界一”宮田和幸「誰とやっても自信がある」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年7月30日〕。フェザー級では圧倒的なフィジカルを誇る〔宮田 和幸 DREAM公式サイト〕。
== 来歴 ==
10歳からレスリングを始め、シドニーオリンピック・フリースタイル63kg級日本代表、全日本レスリング選手権大会フリースタイルで優勝3回(1999年63kg級、2001年69kg級、2002年66kg級)という実績を持つ〔。
2004年11月20日、総合格闘技デビュー戦となったRumble on the Rock 6でホイラー・グレイシーと対戦し、三角絞めで一本負け。
2005年2月23日、K-1 WORLD MAXにて、K-1ルールで武田幸三に3R0分39秒、KO負け。本来出場する予定であった山本"KID"徳郁の怪我での欠場による代打出場として、大会前日のオファーを引き受けた。
2005年3月26日、HERO'Sイアン・シャファーと対戦し、判定負け。
2005年7月6日、HERO'Sミドル級トーナメント開幕戦でシャミール・ガイダルベコフと対戦。タックルからテイクダウンし、チョークスリーパーでタップを奪い、プロ初勝利。
2005年9月7日、HERO'Sミドル級トーナメント準決勝で須藤元気と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。
2006年3月15日、HERO'Sでエリカス・ペトライティスと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2006年5月3日、HERO'Sのメインイベントにて山本"KID"徳郁と対戦。試合開始直後に山本が放った左跳び膝蹴りを顔面にまともに受け、4秒でKO負けを喫した。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折、長期離脱を余儀なくされた。折れた顎をワイヤーで固定する手術を受けたため、数か月にわたり流動食しか摂取できない状態だった。
2006年10月9日、HERO'Sミドル級トーナメントのリザーブファイトでイアン・シャファーとリベンジ戦。パウンドの連打でシャファーの左目尻から流血、ドクターストップでTKO勝ち。
2007年1月27日、天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル74kg級に出場。初戦となった2回戦を勝ち抜くも、3回戦で敗れベスト8となった〔宮田和幸はベスト8に!! さあ明日はKIDの登場だ K-1公式サイト 2007年1月27日〕。この結果、6月開催の明治乳業杯全日本選抜選手権への出場権を獲得したが、出場を辞退した〔明治乳業杯全日本選抜選手権 展望(2)完=フリースタイル 日本レスリング協会公式サイト 2007年6月6日〕。
2007年3月12日、HERO'Sでブラックマンバと対戦。今までに無い流れるような関節技の連携を見せ、1Rに変形チョークスリーパー(テレビ実況では当初スピニングチョークとも言われた。)で一本勝ち。
2007年7月16日、HERO'S 2007 ミドル級トーナメント開幕戦でビトー・"シャオリン"・ヒベイロと対戦。1Rは打撃では手数で宮田、有効打でシャオリンという立ち上がりだったが、2R序盤にシャオリンにテイクダウンを許すと肩固めを極められ一本負け。
2007年8月、タイにあるブアカーオ・ポー.プラムックの所属するポー.プラムックジムでムエタイ特訓を行った。
2007年9月17日、HERO'S 2007 ミドル級トーナメントのリザーブファイトでハービー・ハラと対戦。タックルでテイクダウンを奪うと腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!ヨアキム・ハンセンと対戦、チョークスリーパーで一本負け。
2008年3月15日、DREAM.1のライト級グランプリ1回戦でルイス・ブスカペと対戦、チョークスリーパーで一本負け。
2009年1月、東京都足立区千住北千住駅)に自らのジム「Brave」をオープン〔宮田和幸、フェザー級GP参戦を谷川氏に直訴 BoutReview 2009年1月26日〕。1月26日にオープニングセレモニーを開催し、その場で谷川貞治に同年開催予定のDREAMフェザー級トーナメントへの出場を志願した〔(その後、フェザー級のリミットが63kgに決定したこともあり、出場を断念)。
2009年4月16日、DEEP初出場となったDEEP 41でソ・ジェヒョンと対戦し、フロントチョークで一本勝ちを収めた。
2009年5月24日、ZST初参戦となったZST.20でタッグマッチ(15分3本勝負)に出場。永田克彦とオリンピックタッグを組み、山田哲也&奥出雅之と対戦するも、0-0のドローとなった。
2009年10月6日、DREAM.11のフェザー級グランプリリザーブマッチでDJ.taikiと対戦し、判定勝ちを収めた。
2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14大塚隆史と対戦し、2-1の判定勝ち。試合前の煽り映像では「裏日本人フェザー級最強決定戦」と紹介された〔【DREAM】KIDが金網で復活のKO勝利!桜庭がグレイシーに敗戦、マッハも一本負け(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年5月29日〕
2010年7月5日、5年4か月ぶりのK-1参戦となったK-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament FINAL〜の第1リザーブファイトで渡辺一久と対戦。先に2度のダウンを奪うも1度のダウンで追い上げられ、ジャッジ3者とも27-26と僅差の判定勝ち。
2010年9月1日、埼玉県三郷市にリング、オクタゴンを完備したメガジム「BRAVE三郷支部」をオープンした〔三郷スケジュール 宮田和幸BLOG 2010年8月31日〕〔宮田和幸が埼玉県三郷にメガジムをオープン!8月15日に先行入会受付実施!! DREAM公式サイト 2010年8月9日〕。
2010年9月25日、DREAM.16リオン武と対戦し、3-0の判定勝ちで5連勝となった。1Rにはジャーマン・スープレックス2連発を繰り出した〔【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け!(3) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日〕。
2010年10月、ゆめ半島千葉国体レスリング・フリースタイル66kg級で3年8か月ぶりにレスリングに復帰。1回戦を勝ち抜くも、2回戦で敗退した〔【特集】厳しかった3年8ヶ月ぶりのマット!しかし、レスリングへの情熱は変わらず…宮田和幸(Brave) 日本レスリング協会 2010年10月1日〕。
2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜宇野薫と対戦。宇野をジャーマン・スープレックスで計3度投げ、3-0の判定勝ち〔【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日〕。総合格闘技6連勝となった。
2011年7月16日、DREAM JAPAN GP FINALのフェザー級タイトルマッチで高谷裕之と対戦し、1-2の判定負けで王座獲得に失敗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮田和幸」の詳細全文を読む




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