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宮田 正直(みやた まさなお、1972年7月31日〔「プロ野球人名事典2001」506P、森岡浩、日外アソシエーツ発行、紀伊國屋書店発売、2001年、ISBN 978-4816916694〕- )は、大阪府松原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。引退時の身長体重は173cm、79kg〔朝日新聞東京本社版、1995年3月20日付朝刊10面、入団時は173cm、72kg(朝日新聞東京本社版、1991年3月20日付朝刊5面)〕。 == 来歴 == 上宮高校では、1学年上に元木大介、種田仁、小野寺在二郎がおり、1学年下には薮田安彦、中村豊、市原圭、久保孝之、2学年下には西浦克拓、黒田博樹、筒井壮がいた。高校2年であった1989年に主戦投手として第61回選抜高等学校野球大会に出場した。1回戦で市立柏を3失点完投で下すと、2回戦の北陸には5安打完封勝利、準々決勝の大越基を擁する仙台育英には5安打2失点完投で大越に投げ勝った。準決勝の横浜商戦では2度目の完封勝利を果たし、東邦との決勝戦を迎えた。山田喜久夫との投手戦となり1-1で延長戦に入り、10回表に上宮が1点勝ち越した10回裏、先頭に四球を許すも併殺で2死無走者となったが、ここから崩れてしまう。早く終わって楽になりたい、あと1人と焦ってしまい〔あと一人・・・あせって ガックリ上宮・宮田 朝日新聞東京本社版1989年4月6日付朝刊23面〕、ここから四球に安打で、2死1、2塁とされ、次打者にも同点の適時打を浴び、ランダウンプレイが乱れてエラーとなり、悪夢の逆転サヨナラ負けを喫し優勝はならなかった(第61回選抜高等学校野球大会決勝を参照)。 同年夏の第71回全国高等学校野球選手権大会にも出場。1回戦の丸子実を3失点完投勝利。2回戦の東亜学園には6安打完封の1-0の勝利、3回戦の八幡商には6回1失点の15-1と勝利を重ね、準々決勝は再び大越基を擁する仙台育英との試合となった。だが、0-2で迎えた7回表に8連打を浴び7失点してしまい、打線も9安打しながら2点に抑えられ、2-10の大敗を喫した。高校3年の1990年は、2年連続での甲子園出場を目指したが、センバツを逃し、夏は大阪府予選決勝で公立の渋谷に4-6で敗れてしまう。この試合は、渋谷の2年生の三塁手・中村紀洋に1回に先制2ラン本塁打を、3回には加点となる2ラン本塁打をバックスクリーンに打ち込まれ、4回からリリーフした中村に6回5安打に抑えられてしまったものである〔朝日新聞東京本社版、1990年7月31日付朝刊23面〕。その後、ドラフト外で福岡ダイエーホークスとプロ契約を結び、翌年から入団することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮田正直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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