|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 一 : [いち] 1. (num) one
宮谷 一彦(みやや かずひこ、1945年11月11日 - )は、大阪府出身の漫画家。 == 人物 == 18歳で当時住んでいた四日市市から上京。その頃石ノ森章太郎の模写を始め永島慎二のアシスタントを経て67年「ねむりにつくとき」(『COM』月例新人賞受賞作)でデビュー。 1969年、『ヤングコミック』誌上にて革命集団によるクーデターを描いた「太陽への狙撃」で注目され、70年に同誌に掲載された「性蝕記」で時代の寵児となる。学生運動の「日和」と公害を描いたこの作品は当時の一部若者から絶大な支持を得た。 その後も政治や若者の風俗を描いた作品を多数発表するかたわらシュールな作品も発表するようになり1976年には『ヤングコミック』に連載された『肉弾時代』は三島由紀夫と思われる人物を題材に過剰なまでのナルシシズムを描ききり評判を得る。 短期間に作風が大きく変わった漫画家としても知られ、BSマンガ夜話「肉弾時代」において夏目房之介は「青春」→「ハードボイルド・アクション」→「<私>マンガ」→「実験・前衛」→「急進的娯楽」→「近代史、ポリティカル・フィクション」→「肉弾系」と変遷したと説明している。 しかし同時にその作風からか徐々に発表する作品数が減っていき、80年代から今に至るまでの作品は数えるほどしかない。なお執筆活動を行っていない間は文化財の保護や野鳥を保護する活動を行っている。現在は、海外よりのインターネットを使っての発表が主である。彼の画風は当時としては異質なほど緻密で(スクリーントーンの表面を削って濃淡を与え、絵の立体感や材質感等を表現する技法は宮谷が確立したといわれている)、作風も含めて大友克洋に多大な影響を与えた。また早見純や湯浅学もファンを公言している。夏目房之介は『青春マンガ列伝』などで、同時代の宮谷がいかに輝いていたかを、繰り返し描いている。 妻は右翼団体の有力者の娘にも拘らず強引に結婚する(当時出版された単行本には宮谷と妊娠5ヶ月の妻のヌード写真が掲載されている)が、その後離婚。 「人魚伝説」は池田敏春の手によって1984年に映画化されている。 「太陽への狙撃」連載中にアシスタントもろとも逃亡したり、自動車の無免許運転をして事故を起こす等の奇行でも有名。 なおはっぴいえんどの『風街ろまん』のジャケット画も手がけている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮谷一彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|