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宮部 寸七翁(みやべ すなお、1887年1月12日 - 1926年1月30日)は、日本のジャーナリスト、俳人。 == 人物 == 1887年(明治20年)1月12日〔日外アソシエーツ『熊本県人物・人材情報リスト2007』、465頁〕、熊本県下益城郡丹生宮村(現・熊本市南区城南町丹生宮)生まれ〔松本雅明編著 『城南町史』 城南町史編纂会、1965年、657頁〕。本名逸夫、号に峻峰。熊本農業学校、早稲田大学政治経済学部卒業。九州新聞(現・熊本日日新聞)に入社し、記者として活躍するが、同社のストライキ事件に巻き込まれて退社する〔。九州立憲新聞を経営した後、博多毎日新聞の編集長となる。 1916年(大正5年)に結核を発病するが、この頃より句作をはじめ、『ホトトギス』などに投句する〔。熊本出身の女流俳人・斉藤破魔子(のちの中村汀女)に句作指導を行った〔熊本県高等学校教育研究会国語部会編 『くまもと文学紀行』 熊本県高等学校教育研究会、2005年、215頁〕。 1926年(大正15年)没。1929年(昭和4年)、吉岡禅寺洞により、「寸七翁句集」が編纂された。師匠である高浜虚子は「かくの如く佳作の多い一家の集は、きわめて稀に見るところである」と句集の序文で称賛している〔熊本日日新聞社編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、798頁〕。「血を吐けば現も夢も冴え返る」の句を残し生涯を閉じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮部寸七翁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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