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宮部鼎蔵 : ミニ英和和英辞書
宮部鼎蔵[みやべ ていぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かなえ]
 (n) three-legged kettle
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

宮部鼎蔵 : ウィキペディア日本語版
宮部鼎蔵[みやべ ていぞう]

宮部 鼎蔵(みやべ ていぞう、文政3年(1820年)4月 - 元治元年6月5日(1864年7月8日))は日本の武士熊本藩士、尊皇攘夷派の活動家である。鼎三とも。諱は増実。号は田城。贈正四位。養父に宮部増美、実弟に宮部春蔵がいる。
== 経歴 ==

肥後国益城郡田代村(熊本県上益城郡御船町)に生まれる。医者の家庭で、叔父の宮部増美の養子となる。山鹿流軍学を学び、30歳の頃には熊本藩に召し出され、林桜園国学などを学ぶ。長州藩吉田松陰と知り合い、嘉永3年(1850年)、東北旅行に同行する。松陰と鼎蔵は嘉永4年(1851年)、山鹿素水に学んでいる。〔「兵法者の生活」第六章.幕末兵法武道家の生涯 二.山鹿素水の業績(P217-220)〕
文久元年(1861年)には肥後勤皇党に参加する。文久2年(1862年)には清河八郎も宮部を訪ね肥後に来ている。その後、京都で活動する。文久3年(1863年)に起きた八月十八日の政変で、長州藩が京より追放されると宮部も長州藩へ去るが、元治元年(1864年)には再び京都へ潜伏しており、古高俊太郎のところに寄宿する。
元治元年(1864年)6月5日 池田屋で会合中に新選組に襲撃され、奮戦するが自刃する(池田屋事件)。享年45。明治24年(1891年)に従四位を贈られている。
墓所は熊本市小峰墓地及び桜山神社にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮部鼎蔵」の詳細全文を読む




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