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宮里 秀徳(みやざと しゅうとく、1889年12月4日 - 1952年6月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 ==経歴== 鹿児島県出身。宮里正助・仲子の息子として生まれる。1912年(明治45年)7月、海軍兵学校(40期)を卒業。翌年12月、海軍少尉任官。その後、海軍大学校(航海学生)で学んだ。 1920年(大正9年)12月、「駒橋」航海長となり、「韓崎」航海長、「隠戸」艤装員、同航海長、「野間」「多摩」の各航海長、海兵教官兼監事を歴任。1925年(大正14年)12月、海軍少佐に昇進。 1927年(昭和2年)4月、「衣笠」艤装員となり、同航海長、横須賀鎮守府付、「加賀」航海長を経て、1930年(昭和5年)12月、海軍中佐に進級し「陸奥」航海長に就任。1931年(昭和6年)5月、海兵教官兼監事となり、「平戸」「青葉」の各副長、「大泊」特務艦長を歴任。1935年(昭和10年)11月、海軍大佐に昇進し海軍航海学校教官に就任。 1937年(昭和12年)9月、第1港務部部員に転じ、軍令部出仕兼第3艦隊司令部付兼第1港務部部員、「夕張」「那珂」の各艦長、連合艦隊司令部付兼第1艦隊司令部付兼第2艦隊司令部付、「香取」艤装員長、兼「鹿島」艤装員長、「明石」特務艦長を歴任。 1940年(昭和15年)7月、艦政本部出仕となり、呉鎮守府付を経て、1941年(昭和16年)9月、初代「大和」艦長兼艤装員長に就任した。同10月、海軍少将に進級し、翌月、呉鎮守府出仕、そして呉人事部長兼呉鎮守府人事長に転じ太平洋戦争を迎えた。 1943年(昭和18年)3月、第11特別工作部長に就任し、1944年(昭和19年)10月、海軍中将に進んだ。同年12月、船舶救難本部長に就任し、船舶警戒部長として終戦を迎えた。1945年(昭和20年)9月、予備役編入となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮里秀徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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