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宮里 静湖(みやざと せいこ、男性、1907年 - 1985年)は、昭和時代の日本およびアメリカ合衆国(米国)施政県下の沖縄県で活動した詩人、作詞家。 == 経歴 == 1907年(明治40年)、沖縄県島尻郡具志川村(現在の久米島町西部)に生まれる。沖縄師範学校で宮良長包に師事し〔大山(2009), pp33-35〕、卒業後は師弟で「船路」「桑の実」などの童謡や故郷の久米島に伝わる琉球民謡「阿嘉の鬚水」を原曲とする「荒磯の歌」、久米島小学校校歌等を発表した〔大山(2009), p42〕。このうち「荒磯の歌」は1964年(昭和39年)に東京教育出版社が刊行した音楽の教科書に掲載されている。後に上京して伊波南哲に見出され詩誌の編集に携わるが、就職のため満州へ渡り現地で応召。ソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留を体験するが1945年(昭和20年)に解放されナホトカ経由で舞鶴港へ帰国・復員した〔大城(2010), pp40-41〕。 米国施政権下の沖縄では久米島で小学校の教員を務め、久米島教育事務所長に至る。この間、シベリア抑留の体験を基にした「望郷」などの詩を精力的に発表。1972年(昭和47年)の沖縄返還に伴う新県民歌の歌詞募集では宮里の応募作が採用され、5月15日の返還当日に「沖縄県民の歌」が制定された〔沖縄県公報 - 資料紹介 (沖縄県公文書館)〕。 久米島町役場具志川庁舎の前に代表作「桑の実」の歌碑がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮里静湖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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