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宮野 省三(みやの しょうぞう、1896年(明治29年)9月〔『新編日本の歴代知事』549頁。〕 - 1972年(昭和47年)12月6日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1212頁。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、陸軍司政長官。旧姓・須知。 ==経歴== 三重県出身。須知左馬太郎の三男として生まれ、宮野富次郎の養子となる〔。第三高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警保局属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』228頁。〕。 以後、富山県警視、同警察部警務課長、大分県理事官、地方事務官・長崎県勤務、内務事務官、同省警保局警務課長、東京府書記官・総務部長、内務書記官・警保局保安課長などを歴任〔。 1937年2月、岐阜県知事に就任。河川改修、用水改良事業、林道開設、戦時体制の整備などに尽力〔。1941年1月、埼玉県知事に転任。戦時下の対応に尽力〔『新編日本の歴代知事』322頁。〕。1942年1月9日、知事を依願免本官となり退官した〔『官報』第4499号、昭和17年1月10日。〕。1942年7月7日、陸軍司政長官に発令され〔『官報』第4647号、昭和17年7月8日。〕、同年8月15日、第16軍軍政監部・スラカルタ侯地事務局長官に就任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』140頁。〕。1943年3月11日、スマラン州長官へ転任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』139頁。〕。1944年12月、第16軍軍政監部治安部長に転任し終戦を迎えた〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』138頁。〕。戦後に公職追放となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮野省三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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