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宮間 英次郎(みやま えいじろう、1934年 - )は、横浜市中区の寿町の簡易宿泊所に住みながら、自らが制作した大きな被り物〔宮間の作品は帽子と呼ばれることも多い。ここではペリー(2008)の論文にある、「かぶりもの」の表現を採用した。〕をかぶり、街中を練り歩くパフォーマンスを行っている日本のアウトサイダー・アーティスト。通称「帽子おじさん」〔横浜のアーティストグループが「帽子おじさん」街歩きイベント 〕。 == 半生 == 宮間英次郎は1934年(昭和9年)、三重県伊勢市の二見浦に生まれた〔都築(2007)p.44〕。幼い頃は引っ込み思案で勉強も出来ず、いじめを受けていたこともあった〔都築(2007)p.44、はた(2008)p.55〕。中学校卒業後は2〜3年二見浦にいたが、その後名古屋へ出てボーイの仕事を2〜3年、それから自衛隊に入隊するが、2年で辞めてしまう。 宮間はその後、建設現場の労働者、大型トラックの運転手、廃品回収業など職を点々とするようになった。名古屋でちり紙交換の仕事に従事していた時は、通常録音を流すことで済ませる口上を自らマイクを持って演じ、評判になったこともあるといい、当時から表現への意欲は持っていたようだ〔はた(2008)p.55〕。40歳を過ぎる頃からは建築現場の日雇い労働者となって、東京の山谷、大阪のあいりん地区という簡易宿泊所街を転々とした後、50代後半頃横浜の寿町にやって来て、寿町に定着するようになった〔都築(2007)pp.44-45、はた(2008)pp.58-61〕。 60歳頃から、宮間英次郎は自らが作成した独自の被り物を身に付けるようになった〔根本(1996)pp20-21〕。きっかけは何の気なしにカップラーメンの空き容器を頭に載せてみてからとも〔都築(2007)p.46〕、髪を長く伸ばしていた宮間が、長い髪を通すために帽子の上に穴を開けて被ってみたのが始まりで、それに日雇い仕事の帰りにふと拾った造花を差してみたりするようになった〔根本(1996)pp.20-21〕とも説明している。 60を過ぎた男が突然奇妙な被り物をするようになったため、当然周囲が話題にするようになった。話題になるにつれて被り物はどんどんエスカレートして、より大きなものへと進化していった〔はた(2008)p.58〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮間英次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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