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宮阪 政樹(みやさか まさき、1989年7月15日 - )は、東京都練馬区出身のサッカー選手。Jリーグ・松本山雅FC所属。ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)。 == 来歴 == 小学校3年時からサッカーを始め、中学校、高校の時はFC東京の下部組織に所属。展開力のあるボランチとして見出され〔ユース選手紹介 卒業生 (宮阪政樹) 東京中日スポーツ〕、1期上の中野遼太郎を目標に真摯にサッカーに取り組む姿勢で着実に力を重ねた。当時トップチームでプレーしていた宮沢正史を真似て〔 スポーツ報知 (2012年4月23日)〕鋭いフリーキックを身に付けた。同期は丸山祐市、大竹洋平、椋原健太、廣永遼太郎、田端信成、岡田翔平、田中奏一、井澤惇、加藤淳也など。 2008年に明治大学に進学し、2009年2年時の天皇杯ではボランチとして出場。3回戦で後にプロ生活を始めるモンテディオ山形を3-0で破っている。本人は当時からプロを目指しており、大きな経験だったと語る。4年時にはサッカー部主将を務めた。部の同期は丸山、高木駿、田中恵太など。2011年夏季ユニバーシアードに参加する日本代表でも主将を務め〔ユニバ MF宮阪政樹(明治大)「自分にできることをやって貢献したい」 ゲキサカ (2011年8月11日)〕、優勝に貢献。 2012年、中盤での献身的プレーを評価され〔 山形新聞、2011.10.05〕モンテディオ山形へ加入〔 モンテディオ山形 (2011年10月5日)〕。リーグ戦第1節から先発出場の機会を得、第4節甲府戦では直接FKによる初得点を記録した〔ルーキー宮阪が直接FKで決勝点!!山形が逆転勝利で3連勝、甲府の開幕連勝を3でストップ ゲキサカ 2012.03.20〕。第11節の東京V戦でクラブ史上最速でのA契約規定時間出場を達成〔 J's GOAL (2012年5月31日)〕〔 スポーツ報知 (2012年4月30日)〕。その後も持ち前の展開力と豊富な運動量でチームを支えた〔 山形新聞 (2013年2月24日)〕。J's GOALやエル・ゴラッソからはこの年のJ2新人王に選出されている。2013年はボランチのレギュラーから外されたが、天皇杯浦和戦でサイドハーフに配されると攻守に積極的なプレーを見せ〔【第93回天皇杯 3回戦 浦和 vs 山形】奥野僚右監督(山形)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年10月16日)〕、リーグ戦終盤はこのポジションでの先発出場を続けた。 2014年は若手のリーダーとして副将を務め〔【モンテ】プロ3年目のMF宮阪、副主将の責任感 躍進へ強い決意 山形新聞 (2014年2月27日)〕、ボランチの定位置を再奪取。高精度のプレースキックと〔宮阪&當間弾で山形勝率5割に戻した 日刊スポーツ (2014年4月6日)〕強烈なミドルシュートで相手ゴールを脅かし〔 山形新聞 (2014年7月6日)〕、第34節讃岐戦では60メートルの長距離FKを突き刺した〔 スポーツ報知 (2014年9月29日)〕。同年はリーグ戦全試合に先発出場し、チーム最多・最長出場を記録。パス数ではリーグ2位、ボール奪取ではチーム最多を数え、攻守において絶対的存在であった。この年限りで山形との3年契約が満了を迎えるも〔 スポーツ報知 (2014年11月2日)〕、必要不可欠な戦力として〔 スポーツ報知 (2014年12月17日)〕慰留され契約を延長。2015年は好調を維持するも、J1での戦いに向けてより守備を重視する起用法が採られ〔山形宮阪、勝利&定位置取る 今日川崎F戦先発濃厚 日刊スポーツ (2015年5月20日)〕出場機会は激減した。夏場にかけて一時先発に復帰。果敢なプレスで攻撃へと繋げるプレーを見せ、2nd第1節横浜FM戦でJ1初得点を記録した〔 スポーツ報知 (2015年7月12日)〕。 2016年、2年越しのオファーに応え〔宮阪2年連続松本からオファー 山形は契約延長提示 日刊スポーツ (2015年11月20日)〕、松本山雅FCへ完全移籍〔宮阪政樹選手 松本山雅FCへ完全移籍のお知らせ モンテディオ山形 (2015年12月28日)〕〔宮阪政樹選手 モンテディオ山形から完全移籍加入のお知らせ 松本山雅FC〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮阪政樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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