翻訳と辞書
Words near each other
・ 宸襟
・ 容
・ 容れる
・ 容を改む
・ 容コウ
・ 容リ法
・ 容中律
・ 容体
・ 容体振る
・ 容儀
容光院
・ 容共
・ 容嘉
・ 容器
・ 容器リサイクル法
・ 容器代預かり
・ 容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律
・ 容器包装リサイクル法
・ 容国団
・ 容城


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

容光院 : ミニ英和和英辞書
容光院[ようこういん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

容光院 : ウィキペディア日本語版
容光院[ようこういん]
容光院(ようこういん、? – 天正19年4月19日1591年6月10日))は、安土桃山時代の女性。名前は不詳。父は備前国戦国大名宇喜多直家。母は円融院。弟に宇喜多秀家。他、姉妹多数。
== 生涯 ==
宇喜多直家の晩年の子供で、天正元年頃の生年とされる。母の血を受け継いだ美女であったとされ、豊臣秀吉の養女となり、備中兵乱で死闘を繰り広げた毛利氏の一族、吉川広家に天正16年(1588年)10月に嫁いだ。広家はことのほかこの妻を大切にし、安芸国大朝の吉川元春館で新婚生活が始まったが、わずか2年半後の天正19年(1591年)4月19日に病死した。
広家は兄の吉川元長の菩提寺である万徳院に墓所を築いて弔った。傷心の広家は、出雲国の支配のため、翌年居城を月山富田城に移した。その後も広家は時の権力者に薦められても正妻を置くことなく、側室を置くのみにとどめ、容光院の菩提を弔った。
後に万徳院は慶長5年(1600年)の防長移封で岩国に移転したが、吉川広家は容光院の墓所を移転させず、他の吉川一族ともどもこの大朝の地に墓を残した。
墓所は広島県北広島町舞綱の万徳院跡。墓石には侍従公夫人容光院殿と刻まれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「容光院」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.