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富士城舞主(ふじしろまいしゅ、1939年5月22日 - )とは舞踊家。日本舞踊富士城流家元。福島県会津若松市出身。 == 人物 == 4才の時祖父母の家にあずけられ、隣にあった芝居小屋に昼は一人で、夜は祖母に連れられお芝居を毎日通い続けるうちに踊りやお芝居が好きになり、内緒で踊りを習わせてもらっていたが、父親に見つかり止めさせられそうになるが、頑固としてやめないと言い張り父親を諦めさせる。小学校に入ると兵隊さんの慰問。また数々のお祭りに、丸坊主で女形、2才違いの妹を男役にし踊り沢山の商品を持ち帰る 1950年、小学校5年生の春に、歌舞伎役者になりたくて親に内緒で六代目中村歌右衛門におよそ100通の手紙を出すが断れ続け、 それでも手紙を出し続けた結果、小学6年の夏、東京で面接をしてもらい、中学校は卒業しなさいとの師の命を受け晴れて1955年内弟子として入門が許される。 昭和1955年10月、名古屋御園座で女形初舞台。その後内弟子の4年間に、東京歌舞伎座、新橋演舞場、明治座、名古屋御園座、大坂歌舞伎座、京都南座に出演する。 京都南座に出演している時に新芸プロダクションにスカウトされ東映京都撮影所に。その後中村歌乃介、嵐歌乃介の芸名で10年間数々の作品に出演。この間に宗家藤間流藤間勘十郎、藤間勘五郎に指導を受ける。 俳優、舞踊家と二足のわらじで活躍するが、舞踊の仕事が忙しくなり役者をやめ舞踊一本に。 1984年には、長年修行した藤間流に名前を返上した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士城舞主」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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