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富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月12日)は、日本のドイツ文学者、比較文学者、東京大学名誉教授。 ==来歴・人物== 東京に生まれる。父は医学史家富士川游。森鴎外は父の友人である。神奈川県立湘南中学校から、旧制広島高等学校を経て1932年東京帝国大学卒。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。36年第六高等学校講師となり岡山に住む。38年長男富士川義之(のちにイギリス文学者となった、東大・駒澤大学などで教授を務め、三代にわたる学者一家でもあった)が出生。43年佐賀高等学校教授。 戦後は1946年九州帝国大学講師、49年に新制発足した東大教養学部助教授、56年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、61年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は島田謹二、氷上英廣。著名な弟子に平川祐弘や芳賀徹、小堀桂一郎など多数。69年定年退官、名誉教授、玉川大学教授、79年定年、5年間客員教授。89年に日本藝術院会員に選出された。終生鎌倉市に在住した。 ドイツ文学者としてはR・M・リルケが専門で、『リルケ全集』の編纂を行った。またホフマンスタールの最初期の翻訳者で『ホフマンスタール選集』の編纂にも参加した。 近世漢詩の研究でも著名で、『江戸後期の詩人たち』で、1968年に読売文学賞(評論・伝記賞)、高村光太郎賞を受賞。1986年、日本芸術院賞受賞〔『朝日新聞』1986年2月26日(東京本社発行)朝刊、22頁。〕。1990年に『菅茶山』で大佛次郎賞を受賞した。汲古書院で刊行された『詩集日本漢詩』(全20巻)、 『詞華集日本漢詩』(全11巻)、『紀行日本漢詩』(全5巻)の編纂にも参与した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士川英郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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