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富士金山(ふじ きんざん)は、静岡県富士宮市にある金山。麓金山とも呼ばれる。毛無山の東南麓に位置する。 == 中世 == 鉱脈としては甲斐国の湯之奥金山と同じ鉱脈に属し、駿河国側の富士郡に位置する金山であるので「富士金山」と中世より称されてきた。今川氏の時代より採掘が進められたとされ、今川義元が当主の頃は金山にて働く者の荷物の運搬などを保証する文書が発給されるなど〔天文20年8月2日「今川義元朱印状」(『戦国遺文』今川氏編1029号)〕、金山採掘の環境は整備されていた。今川氏が衰退すると代わって武田氏が富士金山を支配し、武田家家臣の穴山信君が管理するようになる〔天正2年1月16日「穴山信君判物」(『戦国遺文』武田氏編2259号)、天正5年12月19日「穴山信君判物」(『戦国遺文』武田氏編2902号)他〕。 武田氏も今川氏同様金山の砂金を軍事力の糧として重視しており、採掘が進められた。武田氏滅亡後は後北条氏の支配下に置かれた。この折に『駿河国新風土記』に記されるような「金山衆麓衆大宮司一統(富士郡の国人領主富士氏)に申寄するの旨ある古文書」に該当する文書が発給されている(後述)〔天正10年3月6日「北条家朱印状」(『戦国遺文後北条氏編』2322号文書)〕〔駿河古文書会、『駿河の古文書 続』、羽衣出版、1999〕。その後は駿河を領した徳川氏が管理することとなり、富士郡井出郷を本拠とする井出氏の井出正次が徳川氏発給文書の奉者となり、富士金山の経営などを司った〔戦国人名辞典編集委員会編、『戦国人名辞典』、吉川弘文館、2006〕。天正11年(1583年)5月3日の徳川氏朱印状では竹川氏の他「金山二十二人衆」などが普請役を免除されている。このように短い期間において激しく支配者が交代していった金山である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士金山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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