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富樫 成春(とがし しげはる、生年不詳 - 寛正3年(1462年))は、室町時代中期の武将、守護大名。富樫介を称する。富樫教家の子。子に富樫政親(長男)、幸千代(次男)、鏑木繁常室(長女)。 == 生涯 == 富樫教家の子として生まれる。この年は不明だが、元服時に第8代将軍足利義成(1449年就任、1453年「義政」に改名)から偏諱(「成」の字)を賜っていることや、嘉吉2年(1442年)に守護に立てられている(後述を参照)ことから、おおよそ1430年代の生まれと推測される。 父教家はその弟にあたる泰高と加賀の守護職をめぐって対立していた。嘉吉2年(1442年)、成春は管領畠山持国の後押しを得て守護となり、泰高派の山川氏を討伐するなど優位に立ったが、3年後の1445年には泰高を推す管領細川勝元に守護職を取り上げられ、父とともに追放されるなど混乱が続く。 1447年に勝元の仲介のもと泰高は加賀南半国の、成春は北半国の守護職となることで両者は和睦し、6年におよんだ富樫氏の内紛はようやく終結した。 長禄元年(1457年)末、嘉吉の乱以来逼塞していた赤松氏の家臣が長禄の変で功を上げた。これを見た細川勝元が翌年になって赤松政則に加賀北半国の守護を与えたため、成春は再び追放されてしまった。 1462年、成春は失意のうちに病没した。後に子の政親が加賀一国の守護となるも弟・幸千代と抗争を巻き起こし、それに乗じて勢いを強めていた本願寺勢力が介入。長享2年(1488年)には政親が一向一揆によって倒され(長享の一揆)、富樫氏の支配は形骸化していくこととなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富樫成春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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