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富沢伝八 : ミニ英和和英辞書
富沢伝八[とみさわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [でん, てん, つたえ]
 【名詞】 1. legend 2. tradition 3. life 4. biography 5. comment 6. communication
: [やつ]
 (num) eight

富沢伝八 ( リダイレクト:富澤傳八 ) : ウィキペディア日本語版
富澤傳八[とみざわ でんぱち]

富澤 傳八(とみざわ でんぱち、1899年 - 1966年)は、大正から昭和にかけての日本の柔道家。
== 経歴 ==

1899年群馬県群馬郡東村(現在の前橋市)に生まれる。1914年、登坂菊衛の練心館に入門し荒木流柔術を学ぶ。1917年、講道館に入門、嘉納治五郎に直接指導を受け、1918年に初段を授けられる。
1919年4月、大日本武徳会の秋季演武大会で初段5人、2段3人を投げて優勝し、同年11月2段に昇段した。その後、近衛歩兵第3連隊に2年間入営。除隊後、高木三五郎(警視庁柔道整復術試験委員)の下で、柔道整復術を修行。1921年3月、講道館3段となる。
1923年の関東大震災を機に郷里の群馬県へ帰る。1924年3月4段に昇段。この年、「修道館」道場を開く。。
1928年、大日本武徳会教師を允許される。同年、講道館5段となる。1929年、宮中で開催された「昭和天覧試合」に指定選手として出場する。以後、篠原秀吉(上毛新聞社社長)とコンビを組み、境野清雄、田中良三とともに群馬県柔道界のリーダーとなる。
1966年、死去。

|山下義韶と富澤
|篠原秀吉と富澤


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「富澤傳八」の詳細全文を読む




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