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富澤氏(とみざわし)は、江戸時代を通じて武蔵国連光寺村の名主を世襲した家であり、明治時代以降も、多摩村・多摩町・多摩市の首長を輩出した家である。 ==歴史== 富澤氏の出自は、鎌倉幕府初期の御家人・畠山重忠を起源とする。重忠の十三代目為政が武蔵国富川沢村に拠ったことから、「富澤」を名字としたという。子孫は戦国時代に小田原城主北条氏に敗れて、駿河国の守護・今川義元に仕え、その旗本となった。ときの当主・富澤政本は、義元に仕えて、北条氏領内で活動するゲリラ部隊を率いていたが、桶狭間の戦いで義元が横死し、今川氏が衰退すると、連光寺村に土着し、帰農した。慶長年間より、旗本・天野氏の支配下で連光寺村の名主となり、幕末まで世襲した。幕末には、ときの当主・富澤忠右衛門が新選組の近藤勇と昵懇の間柄で、物心両面で新選組を支援したことでも知られる。 明治維新以降も、連光寺集落が属する多摩村において指導的な役割をなし、明治14年には、狩りの為に連光寺に行幸した明治天皇の御休所として屋敷を提供している。又富澤氏の屋敷近くの乞田川に架かる橋は「行幸橋」と命名され、近隣は多摩市聖蹟桜ヶ丘地区となっている。富澤氏の屋敷は、現在、多摩中央公園に移築され、一般公開されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富澤氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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