|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 富 : [とみ] 【名詞】 1. wealth 2. fortune ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 町 : [まち] 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road
富洲原町(とみすはらちょう)は、かつて三重県に存在した自治体である。朝明郡、のち三重郡所属。 現在の四日市市富洲原地区に相当する。朝明郡富田一色村・天ヶ須賀村・松原村を統合し、1字ずつをとって「富洲原」と称した。富田一色・天ヶ須賀・松原の3大字で構成された。大正時代に軽工業が発達、人口が急増して1万人を突破したため、1923年(大正12年)に町制を施行して三重郡富洲原町となるが、1941年(昭和16年)に四日市市に編入され消滅した。 == 歴史 == * 1874年(明治7年) - 伊勢国朝明郡(あさけごおり)が旧三重県十二郡を十大区(区長を設置)四十七小区(戸長を設置)村に副戸長(用掛・担任といった)が設置され、区内の土地や人民に関する事務を行う。 * 1879年(明治12年) - 郡区町村編制法の施行により旧大小区が廃止され、三重郡・朝明郡を統治する郡役所が四日市におかれ、富田一色村役場は竜泉寺の庫裡に設置。 * 1884年(明治17年) - 天ヶ須賀村・高松村の2ヵ村から天ヶ須賀村・松原村・高松村・豊田村の4ヵ村が連合して戸長役場を設置〔四日市市立富洲原小学校創立100周年記念誌127頁下段 - 128頁上段〕。 * 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、朝明郡富田一色村・松原村・天ヶ須賀村の区域をもって富洲原村が発足。 * 1893年(明治26年) - 一色学校と天ヶ須賀学校が合併、四日市市立富洲原小学校成立。 * 1896年(明治29年)4月1日 - 富洲原村の所属郡が三重郡に変更。 * 1900年(明治33年) - 富洲原村役場が富田一色飛鳥神社前の広小路大通り(広小路町自治会の現在の公会堂付近に木造平屋建ての富洲原村役場を建設した)に竜泉寺の庫裡より新築移転。 * 1900年代の戸数は、富田一色区が845戸で最多。天ヶ須賀区が245戸で第2位。松原が60戸で少数の農村。合計戸数は1150戸。 * 1908年(明治41年) - 国鉄富田駅への近回りとなる富田一色の南寄りに平治郎橋を伊藤平治郎が私財で建設。 * 1916年(大正5年) - 東洋紡績富田工場が松原地区の塩役運河付近に設立。松原地区に松原宮町社宅・松原東洋町商店街・松原西元町商店街が建設。 * 1918年(大正7年) - 平田紡績株式会社が設立。 * 1923年(大正12年)1月1日 - 富洲原村が町制施行して富洲原町となる。 * 1926年(大正15年) - 町役場が富田一色の富洲原小学校東隣に移転。富洲原町役場は2階建てとなる。2階に1年間の経費が150円の図書館が設置〔四日市市立富洲原小学校創立100周年記念誌(昭和51年に発行)132頁上段〕。富洲原町立実科高等女学校が富洲原尋常高等小学校の敷地内に設置。 * 1928年(昭和3年) - 伊勢電鉄富洲原駅が松原地区の平町に開設。 * 1929年(昭和4年) - 伊藤平治郎によって下水道と上水道が完成。 * 1932年(昭和7年) - 国道1号が開通。 * 1941年(昭和16年)2月11日 - 四日市市に編入。同日富洲原町廃止。同市富洲原地区となる〔http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuji/tomisu.html〕。最後の富洲原町長は安達松治郎であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富洲原町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|