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富田元秋 : ミニ英和和英辞書
富田元秋[とみた とみだ とんだ とだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 

富田元秋 ( リダイレクト:毛利元秋 ) : ウィキペディア日本語版
毛利元秋[もうり もとあき]

毛利 元秋(もうり もとあき、天文21年(1552年) - 天正13年5月5日1585年5月31日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の家臣。毛利元就の五男。通称は少輔十郎。官途は刑部大輔
== 生涯 ==
1552年(天文21年)、中国地方戦国大名・毛利元就の五男として誕生した。母親は側室の三吉氏(備後国の国人・三吉氏の出身)。
1556年弘治2年)から始まる毛利氏の防長経略において、大きな戦功を挙げた周防国国人椙杜隆康には実子が無かったため、父・元就によって元秋は椙杜氏に養子に入り、椙杜元秋と名乗る。
1569年永禄12年)に、出雲国の支配に従事していた月山富田城代・天野隆重の要請もあり、月山富田城主を命じられた。この時に椙杜氏との養子縁組を解消して、毛利元秋と名乗った。また、富田氏を名乗ったともされる。1569年(永禄12年)から翌年にかけて、山中幸盛尼子勝久らが出雲を奪還すべく再興軍を組織して、隠岐から出雲に侵入した。元秋と天野隆重は、兵数の少なさを勘案し、月山富田城に籠城して、尼子再興軍に抵抗した。富田城を守りきった毛利軍は逆襲に転じ、尼子再興軍を打ち破り、出雲国から敗走させた。
1585年(天正13年)に月山富田城において34歳で病死した。墓所は月山富田城近くの宗松寺跡。元秋の死後間もなく元秋の子たちも死去したため、元秋の遺領は同母弟の末次元康に受け継がれた。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「毛利元秋」の詳細全文を読む




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