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富田勝彦 : ミニ英和和英辞書
富田勝彦[とみた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

富田勝彦 : ウィキペディア日本語版
富田勝彦[とみた]
富田勝彦(とみた かつひこ、1958年- )は、日本の美術家である。

武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科卒。

自身の創作の傍ら、芸術のプロデュース、ディレクション活動をし、芸術振興に尽力している。
 

==人物==
アフリカやアジア各地を巡行し、土地の特色、文化、宗教、歴史から、その普遍的真理を探求し、造形作家として創作している。

2004年「艶淨(武蔵野美術大学αMプロジェクト)」の際、キュレイターの児嶋やよいは、『富田が追求してきたのは、作品が置かれる「場」を、観る人が自然の中に身を置いたかのように心地よく感じる空間とすること』『その「場」においては、そこがどの方角に面していて、太陽光がどこから入るか、といった自然条件や立地を考え抜いた上で展示方法を決定している』と解説しており、このような富田の作品を、"環境体験型空間"と名付けている〔αM 富田勝彦「艶浄」 2014年3月20日閲覧。〕。富田本人もアフリカで北半球・南半球・赤道直下での、影の落ち方の違いを体験したことがきっかけとなり、イスラムや風水などの東洋思想のシスタマティックさに影響を受け、空間や方角・方位を強く意識する作風へと繋がった事を、この展覧会のギャラリートークで話している〔αM ギャラリートーク 富田勝彦×立花義遼×児島やよい 2014年3月20日閲覧。〕。

雑誌「芸術倶楽部」のインタビュアーには、『美術を見たことがない人にも分かってもらえる方が良い』『見た人を、一人でも多く気持ちよくさせようという考え方も、ある意味宗教みたいなもの』『普遍的なものの中に、どうしても宗教的なもののニュアンスが入ってきてしまう』『神道とかの勉強をしてみると、根底にはアニミズム・自然崇拝がどうしようもなく存在しており、そういう要素を取り入れることで、多くの人に興味をもってもらえるのでは』と答え、文化に基づく宗教的価値観の中に、人間の普遍的な美意識を見出している〔『芸術倶楽部藝術出版社、1999年2月刊行、16頁より(ISBN-10: 4795237964)〕。

2013年「江戸琳派の逆襲」の際に、武蔵野美術大学芸術文化学科教授の新見隆は、富田がいっかんして描き続けて来た花について、『彼が愛着するところの、アジアの湿地帯から、匂いでたような、淡やかで、微かにかすかに、典雅に薫る、水に浮かぶ蓮やら春の辛夷であって、それが、富田勝彦が、生命のエロスととらえるものの、創世神話の由緒をこそ、物語っているようだ』と表しており、また、同展覧会にて、とちぎ蔵の街美術館事務局長の村井孝行は、富田が万治元年(1658年)に尾形光琳が誕生した300年後、安政5年(1858年)に鈴木其一が没した100年後に生まれたことに縁を感じ、琳派の伝統の継承者の一人であることを強く意識していることに触れ、『その歩みは日本の光が生み出した琳派の文学性や装飾性を超え出て、より原初的で生命力に満ちた、遥かに強い熱帯の光を志向する。』と寄せ〔海原メディア会|NEWS 2014年3月20日閲覧。〕、伝統的で日本的な魅力と共に、訪れた国々から受けた影響を、富田が作品の中に色濃く刻み付けていることを伺い知ることが出来る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「富田勝彦」の詳細全文を読む




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