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富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日 - 1949年(昭和24年)5月31日)は、日本の洋画家であり、美術教師。熊本県出身。 旧姓松尾至誠。東京美術学校西洋画科、(現東京藝術大学油画専攻)卒業後すぐに、新設された熊本県立御船中学校、現在の熊本県立御船高等学校に図画教師(美術教師)として赴任。以後、学制改革により御船中学校が御船高等学校となった翌年(昭和24年)に病没するまでの間、同校で教鞭をとり続ける。 昭和6年11月の天皇行幸、陸軍大演習に際して休憩所に飾る天覧の絵を描くなど優れた画力を持ちながら、文展、帝展等の公募展には一切出展せず、生涯一美術教師を通す。 井手宣通・浜田知明ら、日本を代表する美術家や美術教師を多数育てる。 == 来歴 == *1897年(明治30年)鹿本郡来民町(現山鹿市鹿本町来民)に四男として生まれる。 *1910年(明治43年)来民尋常小学校を経て、県立鹿本中学校(現熊本県立鹿本高等学校)に入学、図画を武藤直に師事。 *1915年(大正4年)鹿本中学校を卒業後、熊本工業専門学校(現熊本大学工学部)に入学するも翌年自主退学し上京。 *1917年(大正6年)東京美術学校西洋画科を受験し合格。 *1922年(大正11年)東京美術学校西洋画科卒業後、4月に開校されたばかりの熊本県立御船中学校に図画教師として赴任。まもなく富田園生と結婚、富田姓となる。 *1949年(昭和24年)5月31日病没。(享年52) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富田至誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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