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富谷町(とみやまち)は、宮城県中部、仙台市の北隣に位置する町。主に仙台のベッドタウン機能を有する。 2014年(平成26年)11月1日、日本の町村の中で推計人口が全国1位になった(参照1、参照2)。 == 概要 == 町境の内、南辺を仙台市と、東辺の一部を宮城郡利府町と共有し、それ以外の東・北・西を黒川郡大和町に囲まれる(黒川郡#沿革参照)。仙台との境は旧宮城郡と黒川郡を分ける分水嶺となっており、町内を流れる河川は全て北流して大和町の吉田川へと流れ込む。町内は、富谷丘陵と、複数の吉田川支流がつくり出す河川沿いの細長い谷底平野で構成される。 江戸時代初期に、西川(吉田川支流)の右岸(南岸)の奥州街道沿いに富谷宿()が設置された(現住所:富谷町富谷字町)。この宿場は「富谷新町」「富谷新町宿」とも呼ばれた。現在、町役場など公共施設が集中する町の中心部は旧「富谷新町」の北側、西川(吉田川支流)の左岸(北岸)に広がっており、旧宿場も含めて「しんまち地区」と呼ばれている。 当町は、仙台市都心部を中心とした超広域商圏の「青葉商圏」、あるいは、泉中央副都心を中心とした「泉商圏」に含まれているが、泉区内から続く国道4号(奥州街道、陸羽街道)沿いのロードサイド店舗開発が町内にも及び、イオンモール富谷などの大規模商業施設の開発が行われて、隣接地域からの集客力が大きく増している。 当町は、仙台のベッドタウンとして人口増を実現してきた。新興住宅地は1971年(昭和46年)の東向陽台を皮切りに、国道4号沿いの丘陵地に次々造られ、その面積は町の総面積の18%を占める。また、新興住宅地の人口は、全町民の9割以上を占める(#住宅地開発参照)。1991年(平成3年)の将監トンネルの開通〔(仙台市)〕、および、1992年(平成4年)の仙台市営地下鉄南北線・泉中央駅開業とバスターミナル設置で仙台市都心部までの所要時間が大幅に短縮したため、バブル崩壊後の失われた10年においても人口増は衰えず、地価も上昇し続けた。地価は1999年(平成11年)頃をピークに低下し始めたが、その分、安くマイホームが得られる魅力と、トヨタ自動車東日本を初めとする大松沢丘陵やその周辺の工場集積地(黒川郡大和町・大衡村)への通勤に便利な立地であるため、失われた20年と言われる現在でも人口増加が続いている。 平成の大合併期には仙台市との合併、黒川郡内での合併、単独町制などの選択肢が議会で議論された〔平成19年 第1回富谷町議会定例会会議録第2号 (富谷町議会 2007年3月12日)〕が、当町は2013年(平成25年)には推計人口で単独市制人口要件の5万人に達すると予測されたため、単独町制を維持して市制を施行する道を選択した〔自立した5万人都市を目指して (富谷町 2010年4月1日)〕〔市制移行16年目指す 宮城・富谷町長、議会で表明 (河北新報 2011年3月1日)〕。単独市制人口要件は法定人口を根拠とするため、2015年(平成27年)国勢調査後の2016年(平成28年)4月に市制施行を目指すと町長が町議会で表明〔していたが、若生裕俊町長は単独市制移行の期日を平成28年10月10日とする考えを明らかにした〔富谷町の市制移行は来年10月10日 〕。2009年(平成21年)12月には「市制検討プロジェクトチーム」を発足させている。住民基本台帳人口では2012年(平成24年)12月25日〔宮城・富谷町人口5万人 市移行への要件達成 (河北新報 2012年12月29日)〕、推計人口では2013年(平成25年)8月1日〔統計データ/宮城県推計人口(月報) (宮城県)〕に5万人を突破した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富谷町」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tomiya, Miyagi 」があります。 スポンサード リンク
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