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富雄町(とみおちょう)は奈良県北西部、生駒郡に属していた町。大和川水系の支流・富雄川を擁する。富雄駅・学園前を中心とする現在の奈良市西部の広い範囲に当たり、北端は現在の奈良市東登美ヶ丘、南端は奈良市石木町に位置していた。 == 地名の由来 == 『日本書紀』および『古事記』に描かれた神武天皇の神武東征に由来する。 西暦紀元前663年(天鈴55年)、のちに神武天皇として即位する神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)は、この地を支配する豪族・長髄彦と戦った。磐余彦尊が苦戦するなか、急に空が暗くなり、雹が降り出す。その時、金色の鵄(とび)が飛来して弓先に止まり、神通力を得た磐余彦尊は長髄彦を討って勝利を収めた。この様子を見た人々は、当地を鵄邑(とびのむら)と名付けた。後世、鵄邑は鳥見郷または鳥見庄と呼ばれるようになり、さらに変化して富雄村となった。 ただし、地名の由来となった神武天皇聖蹟碑は富雄町ではなく、隣接する生駒郡北倭村(現・生駒市)に存在する。 この故事は、奈良市への編入前年の1954年(昭和29年)に富雄町教育委員会が発行した「富雄町史」にも記載されている(奈良市立西部図書館で閲覧可能)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富雄町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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