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寒河江 為広(さがえ ためひろ、旧字体:為廣)は室町時代から戦国時代の武将。寒河江氏12代。寒河江城主5代。 == 生涯 == 寒河江元高の次男として生まれるが、長兄寒河江高重の死により寒河江氏を継いだ。高重の没年が不明の為相続時期は不明。応永20年(1413年)大沼大行院の本社を再建したという〔大沼大行院系図『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』p.196。父および祖父の生前(元時:1366年~1448年、元高:?~1457年)なので疑問も残る。〕。 文明11年(1479年)伊達氏の侵攻を受ける。この時一族内で結束に乱れがあり、慈恩寺弥勒堂に誓書を納めている。この時は寒さにより干戈を交えず撤退した伊達氏だが、翌文明12年(1480年)春、再び攻め寄せる。庶流の左沢氏・溝延氏と共に伊達軍を寒河江荘奥深くに引き込み、伊達側大将桑折播磨守を打ち取って撃退した(菖蒲沼の戦い)。同年桑折播磨守の菩提を弔う時宗松蔵寺が慈恩寺近くに開かれた〔松蔵寺『幹縁疏』〕。 文明18年(1486年)9月8日に没し跡を寒河江知広が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寒河江為広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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