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寛子女王(ひろこじょおう、1906年2月21日 - 1923年9月1日)は、明治、大正期の皇族。閑院宮載仁親王第四王女。母は三条実美の次女智恵子。 == 人物 == 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際、神奈川県小田原市の閑院宮御別邸に父載仁親王、母智恵子妃および妹華子女王と滞在中、御別邸が倒壊し、その下敷きとなって薨去。 この際、父載仁親王、母智恵子妃および妹華子女王も一時倒壊した御別邸の下敷きとなったが、たいした怪我はなく無事であった。また同震災では、鎌倉市で山階宮武彦王妃の佐紀子女王と藤沢市で師正王も遭難し、皇族ではあわせて3名が命を落とした。 9月10日に閑院宮邸で午前7時に告別ノ儀が行われ、引き続き東京都文京区の豊島岡墓地にて埋柩ノ儀が行われ午前9時30分に済まされた〔『官報』号外「宮廷録事」1923年9月10日。〕。 なお、1948年(昭和23年)9月1日、皇籍を離脱した閑院家当主の閑院春仁が小田原の別邸内に供養のため地蔵尊を建立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寛子女王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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