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『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、寛政年間(1789年 - 1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集である。1,530巻。文化9年(1812年)10月に完成した。 == 概要 == 徳川家光の代に編纂された『寛永諸家系図伝』の続集にあたり、先行する『藩翰譜続編』の編纂事業を引き継ぐ面もあった〔平野仁也 「『寛政重修諸家譜』の呈譜と幕府の編纂姿勢」『日本歴史』第803号、2015年4月号、吉川弘文館、pp.21-38。〕。寛政年間に幕政においては老中・松平定信の主導する寛政の改革が実地され、内政上の問題や対外的緊張から幕政の刷新を図っており、幕府初期の精神に立ち戻るため文教振興が行われていた。『寛政譜』の編纂は定信とも交流のあった近江堅田藩主で若年寄の堀田正敦が発案し、寛政11年(1799年)に正敦を総裁、近江宮川藩主堀田正穀を副総裁として、林述斎らが中核となり幕臣46名によって編纂された。各大名家・旗本からの提出記録を元に、校訂が行われた。国主・領主をはじめ御目見以上の士について、寛政10年(1798年)までの事跡を記す。文化9年(1812年)に完成して将軍の上覧に供された後、紅葉山文庫に収蔵された。一般に幕府の文庫に収蔵された書物は、幕府関係者など然るべき地位にいる者以外は容易に閲覧できず、『寛政重修諸家譜』も広く社会に流布し、読まれたわけではない。しかし、幕府が諸家を調べたり先例を確認するために用いられたと思われ、後世の武家社会に少なからぬ影響を与えた。 活字本としては、1917年から1920年に栄進舎出版部から刊行された。その後、1964年から1967年にその復刻版を続群書類従完成会が刊行している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寛政重修諸家譜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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