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伊達騒動(だてそうどう)は、江戸時代前期に伊達氏の仙台藩で起こったお家騒動である。黒田騒動、加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれる。騒動は3期に分類され、それぞれが関連性を持っている。 == 綱宗隠居事件 == 仙台藩3代藩主の伊達綱宗は遊興放蕩三昧〔事実でなく、口実であるとする説もある。〕であったため、叔父にあたる一関藩主の伊達宗勝がこれを諌言したが聞き入れられなかった。このため宗勝は親族大名であった岡山藩主池田光政〔忠宗の正室は光政の叔母だった。〕、柳川藩主立花忠茂〔忠宗の娘婿で綱宗の義兄だった。〕、宮津藩主京極高国〔祖父・政宗の娘婿で忠宗の義弟だった。〕と相談の上、老中・酒井忠清に綱宗と仙台藩家老に注意するよう提訴した。 にもかかわらず綱宗の放蕩は止まず、ついに1660年(万治3年)7月9日に家臣と親族大名(池田光政・立花忠茂・京極高国)の連名で幕府に綱宗の隠居と、嫡子の亀千代(後の伊達綱村)の家督相続を願い出た。7月18日に幕府より綱宗は21歳で強制隠居させられ、4代藩主にわずか2歳の伊達綱村が就任した。 なお、伊達騒動を題材にした読本や芝居に見られる、吉原三浦屋の高尾太夫の身請け話やつるし斬り事件などは俗説とされる〔「万治元年(1659年)12月、隅田川三又(みつまた)で綱宗に遊船の中で吊し斬りにされた。」「仙台侯が請出して56歳で天寿を全うした。」などの逸話が残るが、実際はこの時代には吉原三浦屋に、高尾の名跡の遊女は存在していない。〕。また、綱宗の隠居の背景には、綱宗と当時の後西天皇が従兄弟同士(母親同士が姉妹)であったために、仙台藩と朝廷が結びつくことを恐れた幕府が、綱宗と仙台藩家臣、伊達一族を圧迫して強引に隠居させたとする説もある〔伊達騒動関係研究では滝沢武雄「伊達騒動新考」(『史観』第75冊(1967年)所収)が、近世天皇研究関係では久保貴子『近世の朝廷運営 –朝幕関係の展開-』(岩田書院・1998年)がこの説を採る。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達騒動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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