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朱 徽妍(しゅ きげん、1610年 - ?)は、明の泰昌帝の六女。寧徳長公主に封じられた。母は傅懿妃。 万暦38年(1610年)に、皇太子朱常洛(のちの泰昌帝)と選侍(皇子の側室)傅氏の娘として生まれた。泰昌帝が即位するが、子供達が王と公主に封ぜられる間もなく、翌月に崩じた。朱徽妍は母や妹たちと共に別宮へ追放されたが、後に呼び戻された。天啓6年(1626年)、劉有福に降嫁した。 崇禎17年(1644年)3月、北京が李自成軍によって陥落すると、夫と共に戦火を逃れて避難した。その後は清代初めまで、質素な生活を送った。 == 参考文献 == * 『明史』 - 列伝第九 公主伝 * 『明熹宗実録』 * 『蕭史青門曲』 清·談遷《北游錄紀郵》(卷上):「壬辰。午過吳太史。讀近詩。其簫史青門曲曰。簫史青門望明月,碧鸞尾埽銀河闊。好畤池台白草荒,扶風邸舍黃塵沒。當年故後婕妤家,槐市無人噪晚鴉。卻憶沁園公主第,春鶯啼煞上陽花。嗚呼先皇寡兄弟,天家貴主稱同氣。奉車都尉誰最賢,鞏公才地如王濟。被服依然儒者風,讀書妙得公卿譽。大内傾宮嫁樂安,光宗少女宜加意。正值官家從代來,王姫禮數從優異。先是朝廷启未央,天人寧德降劉郎。道路爭傳長公主。夫婿豪華勢莫當。百兩車來填紫陌,千金榼送出雕房,紅窗小阮調鸚鵡,翠管繁箏叫鳳凰。白首傅璣阿母飾,綠鞲大袖騎奴裝。灼灼夭桃共穠李,兩家姊妹驕紈綺。九子鸞雛斗玉釵,釵工百萬恣來取。屋裏熏爐滃若雲,門前鈿轂流如水。外家肺腑數尊親,神廟榮昌主尚存,話到孝純能識面,抱來太子輒呼名。六宮都講家人禮,四節頻加戚里恩。同謝面脂龍德殿,共乘油壁月華門。萬事豪華有消歇,樂安一病音容沒。莞蒻桃笙朝露空,溫明秘器空堂設。玉房珍玩宮中賜,遺言上獻依常制。卻添駙馬不勝情,至尊覽表為流涕。金冊珠衣進太妃,鏡奩鈿合還夫婿。此時同產更無人,寧德來朝笑語真。憂及四方宵旰甚,自家兄妹話艱辛。明年鐵騎燒宮闕,君后倉皇相訣絶。仙人樓上看灰飛,織女橋邊聽流血。慷慨難從鞏公死,亂離怕與劉郎別。扶攜夫婦出兵間,改朔移朝至今活。粉碓脂田縣吏收,妝樓舞閣豪家奪。曾見天街羨璧人,今朝破帽迎風雪。賣珠易米反柴門,貴主淒涼向誰說。苦憶先皇涕漪漣。長平嬌小最堪憐。青萍血碧他生果,紫玉魂歸異代緣。盡嘆周郎曾入選,俄驚秦女遽登仙。青青寒食東風柳,彰義門邊冷墓田。昨夜西窗仍夢見,樂安小妹重懽宴。先后傳呼喚捲簾,貴妃笑折櫻桃倦。玉階露冷出宮門,御溝春水流花片。花落回頭往事非,更殘燈灺淚沾衣。休言傅粉何平叔,莫見焚香衛少兒。何處笙歌臨大道,誰家陵墓對斜暉。只看天上瓊樓夜,烏鵲年年他自飛。」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱徽妍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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