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寶智山幸勘 : ミニ英和和英辞書
寶智山幸勘[かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [かん]
 【名詞】 1. perception 2. intuition 3. the sixth sense 

寶智山幸勘 ( リダイレクト:寶智山幸観 ) : ウィキペディア日本語版
寶智山幸観[ほうちやま こうかん]

寶智山 幸観(ほうちやま こうかん、1982年1月18日 - )は、青森県弘前市出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の元大相撲力士。本名は棟方幸観(むなかた ゆきみ)。身長188cm、体重155kg、血液型はO型。得意手は突き、右四つ、寄り。最高位は西前頭14枚目(2006年9月場所、2007年5月場所)。現在は年寄君ヶ濱。なお、「寶」という文字は常用漢字外であるため新聞・雑誌などでは宝智山(のちの四股名の時は宝千山)と表記されることが多い。関取として在位した場所はすべて寶智山の四股名で在位。
== 来歴 ==
リンゴ園を営む家の次男。〔『相撲』2014年2月号102頁〕幼い頃から相撲を始め、木造高校時代には全国大会に出場するなど活躍した。法政大学への進学を志すことをはじめとして進路に迷っていた時期もあったが、高校時代の監督が元小結舞の海と同級生であったため、木造高校OBでもある舞の海に紹介され角界入りを薦められた。大相撲入りを選んだ背景には経済的事情があったともいい、それも関係して3年生の秋に大相撲入りへの意志を固めたとされる。そして、高校卒業と同時に、舞の海の兄弟子が師匠の中立部屋(2003年から境川部屋に改称)に入門。2000年3月場所に初土俵を踏んだ。
翌5月場所にはいきなり序ノ口優勝するなど、順調に番付を上げて行き、初土俵から2年で幕下に昇進した。しかしこの頃から押し相撲とも四つ相撲とも言えない中途半端な相撲が多くなり幕下中位で苦労した。2004年頃から本来の四つ相撲が取れるようになり、幕下上位でも安定した成績を残せるようになった。だが2度も東幕下筆頭で負け越しを経験し、また東幕下9枚目で6連勝しながら勝てば十両昇進確実となる七番相撲を落とすなど勝負弱さも目立った。また東幕下3枚目で4勝3敗と勝ち越しながら東5枚目で5勝2敗の鶴竜が昇進する〔場所後の新十両会見まで手配されており、報道陣は寶智山の方が新十両を果たすと予想していた。〕など番付運にも泣かされ、計6回の十両昇進の機会を掴み損ねた。
しかしここで腐らず稽古に精進し2006年1月場所には西幕下4枚目で4勝3敗と勝ち越し。場所後の1月25日の番付編成会議で翌3月場所の十両昇進が決定した。その場所は7勝7敗から入れ替え戦でこれまで苦手としていた高見藤を倒して8勝7敗で勝ち越し、翌5月場所は10勝し、優勝決定戦に進出したが敗れた。そして7月場所は幕下上位で重圧に晒され続けた経験を活かし、優勝のかかるプレッシャーをものともせず力強い相撲で13勝2敗の好成績を上げて十両優勝を果たし、新入幕を果たした。
新入幕の2006年9月場所では5勝10敗と負け越し、11月場所では十両に陥落し、再入幕も期待されたが、やはり14日目に負け越した。その後2007年3月場所で十両上位で勝ち越し、再入幕を決めた。2007年5月場所では前頭14枚目の位置で、12日目まで5勝7敗と苦戦しながらも踏みとどまったが、6勝9敗と3点の負け越しで場所を終わった。7月場所では幕尻の前頭16枚目に下がったものの十両陥落は免れたが、12日目に旭天鵬に敗れて負け越しが決定。9月場所では東十両筆頭に陥落し13日目まで6勝7敗で踏みとどまったが、14日目に負け越しが決まり7勝8敗で取り終えた。
その後は11月場所の6勝9敗、2008年1月場所の7勝8敗と小幅の負け越しが続き十両上位に留まっていたが、3月場所は糖尿病による体調不良が悪化し2勝13敗と大きく負け越してしまったため、西十両6枚目の地位であったが幕下へ陥落した。5月場所も体調は戻らず2勝5敗と大きく負け越した。7月場所では4勝3敗と8場所ぶりに勝ち越し、9月場所も勝ち越したが以降は幕下10枚目前後に停滞する。
2010年に入ると体調が回復したのか、西幕下筆頭で迎えた同年5月場所で5勝2敗と勝ち越し、翌7月場所での返り十両を決めた。その後は3度の再入幕も経験して2013年3月場所まで関取の地位にいた。幕下陥落2場所目の同年7月場所から、四股名を読みはそのまま「寶千山」へ改名したが、この場所は1勝6敗と大きく負け越している。その後も改名効果は裏目に出て、ついに2013年11月場所には2002年1月場所以来の三段目に降格した。2012年11月から6場所連続で負け越した理由として左肩と腰の痛みが伝えられている。〔『大相撲ジャーナル』2014年2月号29頁〕その11月場所では7戦全勝、決定戦で爆羅騎源氣を破り三段目優勝を果たしたが、場所中の理事会(後述)を受けて結果的にこの場所で有終の美を飾る形で12月20日に現役を引退して年寄君ヶ濱を借株として襲名した。〔年寄名跡取得の条件を緩和 関取在位期間を2場所短縮 Sponichi Annex2013年12月20日 21:19 〕襲名に当たっては従来の規定では十両および幕内在位30場所の規定を満たしていなかったが、11月17日の理事会で2場所足りない28場所でも年寄名跡の前保有者や師匠、保証人(現役年寄)の願書があれば取得できるとする規定が追加されており、その恩恵を受ける形となった。〔宝千山が現役引退し年寄「君ケ浜」襲名 日刊スポーツ 2013年12月20日〕〔直前まで空き名跡が11家あり、人手不足の状況にあった。〕
2014年6月1日、両国国技館で断髪式が行われた。キャスターであり境川部屋の師範代でもある舞の海や同じ弘前市出身の若の里など350人がはさみを入れ、止め鋏は師匠の境川が入れた。〔元幕内宝千山が断髪式=大相撲  時事ドットコム 2014/06/01-17:54 〕断髪式としては珍しく、途中で土俵のそばに下りて大勢の女性に鋏を入れてもらう一幕もあった。〔元幕内宝千山が断髪式 舞の海らがはさみ  nikkansports.com 2014年6月1日19時42分 〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「寶智山幸観」の詳細全文を読む




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