|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 島 : [しま] 【名詞】 1. island ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream
寺島川(てらしまがわ)は、徳島県徳島市を流れていた吉野川水系の河川(廃河川)。ひょうたん島内を流れていた。 現在は大半が埋め立てられて、水系から孤立した水路になっている。埋立地には四国旅客鉄道(JR四国)の徳島駅と牟岐線などがある。 == 流路 == 現在のひょうたん島(内町地区)はかつては徳島(徳島町他)・寺島(寺島本町他)・出来島の3つの中洲に分かれており、寺島川は寺島と他の2島の間を流れていた。 徳島城の西方、現在の郷土文化会館付近(南出来島町1丁目 - 藍場町2丁目間)で新町川から分流し、出来島と寺島の間を北東に流れていた。現在の高徳線に達すると、線路沿いの東から南東へ流路を変え徳島と寺島の境となった。現在の市立図書館付近までは線路の南側を、それ以降の徳島駅・牟岐線では線路の北から北東側を流れていた(以上は鉄道敷設後の状況だが、時系列的には寺島川の一部を埋め立てて線路と駅が作られた)。言い換えると、徳島中央公園(徳島城跡)の南西縁を流れていた。 かちどき橋と富田橋梁の間(幸町3丁目 - 中洲町1丁目間)で再び新町川に合流していた。合流点近くでは、この2橋の間がほぼ川幅だった。 満潮時には新町川経由で海水が逆流し、汽水化した。 徳島城築城時には、瓢箪堀が分岐して現在の前川橋に通じる道路に沿って助任川まで通じ、出来島と徳島の境をなしていた。しかし江戸時代初期に助任川側・寺島川側双方で築堤され川から分離された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺島川」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|