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寺本 巌(てらもと いわお、生年不明 - 1945年(昭和20年)7月24日)は、日本の海軍軍人。予備士官から現役兵科士官(将校)に転官し、日本海軍史上ただ一人〔『帝国海軍士官入門』168頁〕、海軍兵学校以外の出身者として潜水艦艦長となった人物である。回天菊水隊、金剛隊の出撃に際しその搭載潜水艦を指揮した。潜水学校教官在任中に戦死。最終階級は海軍中佐。 ==生涯== ===海軍予備員=== 寺本は三重県の出身で、長じて高等商船学校に進んだ。高等商船学校は商船士官を養成する役割を担っていたが、学生は海軍予備生徒の資格を併せ持ち、卒業後に予備少尉や予備機関少尉に任官した。彼らは商船士官として勤務しながら予備士官としても昇進し、制度上は予備大佐や予備機関大佐まで昇進することが可能であった〔『帝国海軍士官入門』224-225頁〕。この制度は兵科予備学生や飛行科予備学生とは別個の制度である。日本海軍は1928年(昭和3年)以降予備員を召集し演習に参加させたが、予備士官の勤務は好評を得、海軍省は「予備員ニ対スル認識、取扱ヒ方針ヲ一変スル必要アリ」〔『帝国海軍士官入門』229頁〕として予備員の召集を拡大していった。1934年(昭和9年)には演習召集ではなく勤務召集が始まり、半年にわたって兵科将校、機関科将校と同様の配置で勤務させた。同年6月には『海軍予備士官ヨリ海軍士官ニ任用等ニ関スル件』とする勅令が発せられ、予備士官から現役士官への転官が可能となった〔『帝国海軍士官入門』251頁〕。寺本は1933年(昭和8年)に神戸高等商船学校(神戸商船大学を経て、神戸大学と合併)を卒業し、海軍予備少尉として翌年1月から召集勤務につき、上述の勅令が発せられた6月に現役勤務を志願した〔画像3枚目。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺本巌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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