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寺本 明日香(てらもと あすか、1995年11月19日 - )は、日本の体操選手。愛知県小牧市出身。名古屋経済大学市邨高校卒業。中京大学スポーツ科学部2年生(2015年4月現在)。レジックスポーツ所属。 == 略歴 == 父は航空自衛隊小牧基地の第1輸送航空隊第401飛行隊所属の寺本寿1等空曹(日本航空高等学校 第21期生)。 小学1年の頃、鉄棒がやりたいと思ったのがきっかけでレジックスポーツ・レッツ体操クラブ名古屋を紹介され本格的に体操を始めた。小学2年の時、選手コースのテストを受け合格、選手コース生となる。 2007年(平成19年)、全日本ジュニアAクラス大会で個人総合優勝し日韓合宿に日本代表選手として参加する、9月よりレジックスポーツの選手権メンバー入りし坂本周次の本格的な指導を受けU-12(12歳以下<小学生>の全国大会)個人優勝。この年2つの全国大会チャンピオンとなる。 2008年(平成20年)、全日本ジュニア選手権1(オリンピックルールで競うジュニア最高峰の大会)の大会にレジックスポーツのチームメンバーとして出場し、香港国際大会の出場権を獲得し初の国際選手となる。日本チームは団体優勝し、寺本は個人総合で見事に優勝した。 2009年(平成21年)には、全国中学大会個人2位。段違い平行棒優勝、レジックスポーツのメンバーとして全日本選手権大会4位、全日本ジュニア大会団体3位、NHK杯に出場し個人12位となる。 2010年(平成22年)、日本で開催されたアジアジュニア大会の日本代表となり強国中国を抑え、日本は団体優勝し、寺本は種目別段違い平行棒2位、平均台2位に入賞した。同年イタリアベネチア国際大会のジュニアの部に出場し日本は団体3位、寺本は個人8位に入賞した。又、NHK杯に2回目の出場をし個人9位に入賞。国民体育大会の愛知県少年女子のメンバーとなり千葉国体に初出場し団体準優勝。 2011年(平成23年)で16歳のシニア国際年令に達する年となり、3月、中3最後の試合となるカナダモントリオール国際のシニアの部に出場、個人総合3位、床3位に入賞、4月全日本選手権大会で個人5位、3度目となるNHK杯の出場権利を得る。6月、NHK杯で個人総合4位に入賞し、10月開催の東京世界選手権大会の日本代表となる。その世界体操2011の女子予選で飯塚友海が3種目目の跳馬の練習中に負傷し、欠場するアクシデントに急遽代替選手として出場することとなった。しかし、この一発勝負をものにして日本の窮地を救い、ロンドンオリンピックの団体出場権獲得に大きく貢献した。 2012年(平成24年)、ロンドンオリンピック代表に選出。団体総合ではただ1人全4種目に出場した。しかも、14点台を3種目でたたき出し、北京に続く8位入賞に貢献した。さらに個人総合でも11位に入るなど、並居るベテランを唸らせるほどの大活躍を見せた。 2013年(平成25年)4月のワールドカップ東京大会では日本の女子選手として初となる個人総合優勝を飾る。同年5月の全日本選手権個人総合ではライバルである笹田夏実に次ぐ2位に入賞。同年6月のNHK杯で個人総合でも初優勝を飾り、10月からアントワープで開催予定の、世界選手権の代表選手に選出された。その世界選手権では、個人総合9位に入った。 2014年(平成26年)も世界選手権の代表に選ばれ、団体8位入賞、個人総合で18位、種目別の平均台で4位入賞を果たす。 2015年(平成27年)5月の全日本選手権個人総合で笹田夏実の大会3連覇を阻止し、見事初優勝。同時にイギリス・グラスゴーで行われる世界選手権代表に加え、韓国・光州で行われるユニバーシアード代表にも選出された。世界選手権ではキャプテンとしてチームをまとめ、団体予選6位、同決勝で5位入賞を果たし、2大会連続のオリンピック団体出場権獲得に貢献。個人総合では村上茉愛とともに上位争いに加わったものの、平均台での落下ミスが響き、9位に終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺本明日香」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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