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つんく(1968年10月29日 - )は、日本の音楽家、作詞家、作曲家、実業家。総合エンターテインメント事務所株式会社代表取締役社長。公式サイトでは自身を「総合エンターテインメントプロデューサー」としている。 1992年にシャ乱Qのフロントマン(ボーカリスト)としてデビュー後、モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの総合プロデュースを務め、以降音楽プロデューサーとしても活動。本名、寺田 光男(てらだ みつお)。大阪府東大阪市出身。血液型はB型。身長170cm、体重58kg。近畿大学附属高等学校、近畿大学商経学部卒業〔〔。 == 略歴 == 1988年12月、はたけ、まこと、たいせー、しゅうとともにシャ乱Qを結成。ボーカルを担当。1992年、シャ乱Qがメジャーデビュー。1994年、『MBSヤングタウン』で競演するFUJIWARAの楽曲『明日が来る前に』のプロデューサーとしてプロデュース活動を開始。ただし、この時点では、プロデュースといっても、まだアドバイス的な役割に近かった。また、それ以前に明石家さんまへ提供する予定の楽曲を制作していたが、勝手に話が進んでいた事を不快に感じたさんま自身が断ったため、レコーディングは行われなかった。 1997年よりモーニング娘。のプロデューサーを本格的に開始する。 1999年11月3日、マキシシングル『』でソロ・デビュー。 2000年12月、シャ乱Qの活動を休止。翌2001年4月、芸能活動、プロデューサーとしての活動での名前を「つんく」と改名する。作詞作曲する際の名前は「つんく」のまま。2002年2月、シャ乱Qのメンバー、まこと、元のこーじと共にを結成するが、活動を休止(期間限定説あり)。その後ソロ活動に戻り、2004年から2006年までモーニング娘。や松浦亜弥などの提供曲のセルフカバーや、自身の青春時代の思い出の曲をカバーした3枚のアルバムをリリースし、ライブやディナーショーを開催。 2006年4月3日放送の『』の出演でシャ乱Q活動を再開。「堀内孝雄さんのおかげで、シャ乱Qの活動再開をしたくなった」との理由からである。同年4月24日、博多華丸の仲介で12歳年下の元モデル出光加奈子とお見合い。6月8日、婚姻届を提出し入籍した(婚姻の理由などについて、これ以上の詳細は非公開としている)。挙式は、同年8月10日、西本願寺にて仏前形式で行われた。同年10月1日、総合エンターテインメント事務所「株式会社」を設立。ゲームソフトリズム天国などのプロデュースを手掛ける。 2007年2月4日、北九州市長選挙で、柴田高博候補(自民・公明推薦)の応援に就く。飯田圭織・矢口真里が同行した。同年9月2日、テレビ東京系のドキュメンタリー番組『ソロモン流』で、「今、歌手として一番大切なのどに原因不明の病を抱え歌を歌う際に高い声が出難くなっている」と告白。また、「専門医の検査を受けたが治療法が未だ見つかっていない。」という。この影響からか、2009年12月31日 - 2010年1月1日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越SP・絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』のエンディングで自身のヒット曲『シングルベッド』の替え歌を歌う際にキーを原曲よりも1音階低くして歌っていた。 2007年9月と12月、自身の芸能生活20周年を記念して、作曲・作詞曲を収録した4枚組ベストアルバムを2枚をリリース。 2008年4月29日、加奈子夫人が出産、双子(男児、女児の二卵性双生児)の父親となる。同年10月29日、誕生日のこの日に『おもいッきりイイ!!テレビ』の「今日は何の日」で、半生を取り上げられる。 2009年4月、シャ乱Qのファンクラブの解散に伴い、つんく単独のファンクラブ「つんく天然音泉」が発足。 2010年5月29日、ファンクラブライブで披露された新曲を配信。同時に、今後「つんくの日(29日)」に新曲が「続々と登場予定」であることが発表された。 2010年12月29日、ソロ名義として11年ぶりのシングル『』をリリース。 2011年3月16日、第三子となる女児が誕生。同年12月2日、母校である近畿大学の一日客員教授に任命される〔〔。 2011年12月23日、アイドル育成型エンターテイメントカフェ「」を秋葉原にてオープン。 2012年4月、つんくがエグゼクティブプロデュースした映画『』が公開。 2012年6月3日、「旅祭 - 2012-」に出演。会場は東京・晴海客船ターミナル特設会場。 2012年7月25日発売 『もしも明日が〜三木たかしトリビュート〜』に参加。未発表曲『しょっぱいね』歌唱。 2012年8月29日発売 中島卓偉のアルバム『アコギタクイ-共鳴新動-』に参加。 2012年9月26日 シングル『しょっぱいね』リリース。 2012年10月下旬、パチンコ台、つんくプロデュース「CR 元祖ハロー!プロジェクト」(藤商事)全国導入開始。 2012年12月6日、第45回日本作詩大賞「テレビ東京特別賞」受賞。 2013年1月15日、シャ乱Qの結成25周年での再始動を宣言する記者会見をにて行う。 2013年4月3日、近畿大学入学式に出演。 2013年7月17日、シャ乱Q『シングルベッド』発売。 2013年8月 - 9月、「シャ乱Q 結成25周年記念ライブツアー 2013 秋の乱〜シハンセイキ伝説〜」(8月31日•、9月6日•、9月7日•大阪、9月14日•仙台イズミティ21、9月21日•中野サンプラザ(追加公演))に出演。 2013年9月15日、シミズオクト 氣志團万博2013 〜房総爆音梁山泊〜にシャ乱Qとして出演。 2014年3月6日、喉頭がんを患ったことを公表した〔 〕。9月25日、いったん「完全寛解」を発表したが、がんが再発見され、10月上旬に手術を受けていたことを10月17日に明らかにした。その後2015年1月20日、日本を元気にする会の結成記者会見にメッセージを寄せた際、松田公太議員により、声帯摘出したことが明かされる(この場では「なかなか声が出せないという状況」とされていた)。 2015年4月4日、自身がプロデュースした母校・近畿大学の入学式に出席。2014年10月の手術の際に声帯を摘出し、声を失っていたことを自ら公表した。2013年9月21日に東京・中野サンプラザで行われたシャ乱Qの結成25周年記念ツアーの最終公演が最後の歌唱となった。ブログでは、現在の心境を綴った本を執筆中であることを明らかにした。 2015年7月3日、東京ドームで行われたプロ野球・楽天―日本ハム戦で始球式をつとめた。声帯摘出を告白した4月4日の近畿大学入学式の後、初めての公の場となった。 2015年7月、声帯全摘出以来、習得が難しいとされている“食道発声法”のトレーニングを重ねていることが報じられた。まだ聞き取りにくいほどの小さな「声」であるが、発声することが出来るようになってきているという。 2015年9月10日、手記『だから、生きる。』を出版。同書の中で、前年10月のモーニング娘。'14のニューヨーク公演後にハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを退いていたことを明らかにした。 2015年9月13日放送のNHKのドキュメンタリー番組『NEXT 未来のために「“一回生”つんく♂ 絶望からの再出発」』において、手術後初めて単独インタビューに応じ、パソコンのキーボードを通じてのやり取りの中で胸中を明かした。 2015年11月19日、『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)で、手術後初めてテレビ生出演、宮根誠司の問いかけにノートパソコンに打ち込んだ文字をモニターに表示して応え、同日夜同局から生放送される「ベストヒット歌謡祭2015」 でクミコが歌う、作曲とプロデュースをした子守唄「うまれてきてくれて ありがとう」(作詞:湯川れい子)への思いを語った。 同日、「うまれてきてくれて ありがとう」で第57回日本レコード大賞作曲賞を受賞。12月30日の『第57回 輝く!日本レコード大賞』ではクミコのパフォーマンスにギターで参加した。 2016年3月21日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に11年ぶり3度目の出演。手術後初めての本格的トーク番組への出演となる。パソコンを使った“筆談”は同番組開始以来41年目にして初。 2016年3月29日放送の『UTAGE春の祭典!』(TBS)に初出演。手術後初めてのゴールデンタイムのバラエティ番組への出演となる。モーニング娘。OGも出演する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「つんく♂」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsunku 」があります。 スポンサード リンク
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