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寺田 稔(てらだ みのる、1958年(昭和33年)1月24日 - )は、日本の政治家、元大蔵・財務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自民党国会対策副委員長。元自民党副幹事長。元内閣府副大臣兼復興副大臣(第2次安倍内閣)。 == 来歴 == 広島県広島市生まれ。広島大学附属中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。1980年、大蔵省に入省し主計局に配属された。1982年にはハーバード大学大学院に留学し、公共政策学修士号を取得。帰国後は国際金融局係長や長浜税務署長、在ワシントン日本大使館書記官、官房文書課広報室長、徳島県総務部長、財務省主計局主計官、内閣府参事官を歴任。 2004年、妻の義理の叔父にあたる池田行彦の死去に伴い財務省を退官、行彦の選出選挙区である広島5区の補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、民主党の三谷光男らを破り初当選。当選後は、義理の祖父にあたる元内閣総理大臣の池田勇人が設立した宏池会に入会。2005年の第44回衆議院議員総選挙でも再び広島5区で三谷を破り、再選(三谷も比例復活)。衆議院安全保障委員会与党理事、自民党行政改革推進本部幹事、行政改革推進本部 特別会計改革委員会主査、党国防部会長などを務めた。 2007年に発足した第1次安倍改造内閣で防衛大臣政務官に任命され、福田康夫内閣でも再任。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、広島5区で三谷に敗北し、比例復活も出来ずに落選。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、前回敗れた三谷に比例復活を許さず当選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で内閣府副大臣兼復興副大臣に就任。 2013年10月の内閣及び自民党役員人事において党副幹事長に就任した。 2014年10月の自民党役員人事において党国会対策副委員長に就任した。 いわゆる大宏池会構想論者で〔ブログ - 『7月10日(木)』 | 衆議院議員 寺田稔の政治実感日誌 〕、2013年から2014年の一時期、宏池会に加えて為公会(麻生派)にも参加していた〔為公会2013麻生太郎政策集団 〕が、同年7月ごろ退会し宏池会のみの所属となった。2014年の第47回衆議院議員総選挙で4選。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺田稔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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