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寺石 正路(てらいし まさみち、1868年10月17日(慶應4年9月2日) - 1949年(昭和24年)12月23日)は、高知県の郷土史家。考古学者。作家。 == 来歴 == *1868年(慶應4年)9月2日、寺石可成の嫡男として、高知県高知市九反田に生まれる。母の名は壽賀(すが)。 *1880年(明治13年)高知九反田の海南私塾分校に学ぶ。1883年(明治16年)同校を卒業。 *1884年(明治17年)東京の共立学校(旧制開成中学校)に入学。 *1885年(明治18年)東京大学予備門(旧制第一高等中学校の前身)へ進む。この時の同級生に正岡子規、秋山真之、南方熊楠などがいる。 *1886年(明治19年)、病により帰郷。 *1887年(明治20年)、東京大学予備門を中退する。 *1888年(明治21年)、高知で佐川町英学会の講師となる。 *高知の共立学校の英語教師となる。 *1890年(明治23年)、高知県立尋常中学校の補欠教員となる。 *1891年(明治24年)、高知の宿毛貝塚、愛媛の平塚貝塚を発見し縄文文化の調査を行う。 *1892年(明治25年)、母校の中学海南学校で地理・歴史科の嘱託教諭となる。 *1893年(明治26年)、東京人類学会の地方委員に推薦される。 *その後、旧制高知高等学校の教諭となる。教え子には平尾道雄などがいた。 *資料に基づく実証的な研究を行い郷土史家としてだけでなく、考古学・民俗学・人類学など幅広い分野での論文執筆を重ねた。 *1926年(大正15年)、土佐史談会の会長を勤める。 *1949年(昭和24年)12月23日老衰により逝去。享年82。墓は高知県高知市筆山にあり、平尾道雄が撰文をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺石正路」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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