|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 寺社 : [じしゃ] (n) temples and shrines ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto) ・ 法 : [ほう] 1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) ・ 法度 : [はっと] 【名詞】 1. law 2. ban 3. prohibition 4. ordinance ・ 度 : [ど] 1. (n,n-suf) (1) degree (angle, temperature, scale, 2. (2) counter for occurrences 3. times 4. (3) strength (of alcohol) 5. (4) (uk) (pref) very 6. totally
寺院諸法度(じいんしょはっと)は、江戸時代に、江戸幕府が仏教教団に対して定めた諸法度の総称である。ただ、定まった呼称はなく、文献によっては「諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと)」・「諸宗諸本山法度(しょしゅうしょほんざんはっと)」などの呼称が用いられる事もある。 儒教、とりわけ朱子学を重んじる政策をとった江戸幕府も、その一方で、寺領を安堵し、伽藍の整備をも推進していたが、それと同時に僧侶の統制をはかる目的から、各宗の僧に対して設けられたのが、寺院諸法度である。 禅宗の場合、 #曹洞宗法度(1612年) #勅許紫衣之法度(1613年) #五山十刹諸山法度(1615年、以下同) #妙心寺法度 #永平寺法度 #大徳寺法度 #総持寺法度 などの法度が順次、発令された。 五山十刹諸山法度においては、従来の「(鹿苑)僧録」、「蔭涼職」が廃止され、1619年、江戸に「(金地院)僧録)」が新設され、黒衣の宰相の異名をもつ以心崇伝が任命された。その当初は、この新たな僧録によって禅宗全体の統制をはかったが、その統率は五山派のみにしか及ばなかった。崇伝没後の1635年、寺社奉行が設けられると、寺院の管掌は寺社奉行が取り仕切ることとなり、僧録の権限は更に縮小されることとなった。基本的には、五山派の触頭を職掌とすることとなる。 その後、1665年になって寛文印知による寺領安堵と合わせて全ての宗派・寺院・僧侶を対象とする共通の諸宗寺院法度を導入した。 == 関連項目 == *禁中並公家諸法度 *武家諸法度 *僧録 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺院諸法度」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|