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寺社造営料唐船(じしゃぞうえいりょうとうせん)は、14世紀前半(鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて)に、主要な寺社の造営(修復・増築を含む)費用を獲得することを名目として、幕府の認可の下、日本から元に対して派遣された貿易船群のことである。特に建長寺船・天龍寺船などが有名。日中関係史において、元寇による関係悪化(13世紀)と日明貿易(15世紀)の間の時期をつなぐ、半官半民的な交易船である。 ==背景== ===日元関係=== 文永の役・弘安の役の両度に渡る戦い(元寇)で日元関係は決定的に悪化し、その後もクビライ(世祖)は3度目の日本遠征計画を立てていたが、海軍力の弱体化や国内の反乱などの理由により実行に移すことはできなかった。また日本側においても、鎌倉幕府は3度目の襲来に備えて、西国御家人への異国警固番役を解くこともなく、鎮西探題を設置するなど警戒を続けた。しかし、クビライの死後は元側にも厭戦気運が広がり、また当時出没し始めた倭寇による海賊的私貿易を防ぐ意味からも、沿岸部の広州・泉州・慶元(寧波)などに市舶司を置き、日本との平和的な交易を望むようになっていた(日元貿易)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺社造営料唐船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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