|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 脇 : [わき] 【名詞】 1. side ・ 三 : [み] 1. (num) three
月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年2月23日 - )は、上方の落語家。上方落語協会書記長。本名、寺脇 清三(てらわき せいぞう)。出囃子は『夫婦萬歳』。 大阪市福島区出身、同区在住。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。関西学院大学経済学部オープンカレッジコース卒業。 子供は長男(弟子の月亭八光)と長女の2人で、ともに既婚である。八光にはすでに娘もいる。長女は芸能人ではないため非公表であるが、娘婿は長唄の今藤政之祐である。また三千代夫人とは別居生活を送っているが、実際には大通りを挟んですぐそばに互いが居住しており、特に夫婦仲が悪いわけではない。夫人はまた、月亭八方後援会会長を名乗っているほどである。 == 来歴・人物 == 父は銀行員だったが、自身が子供の頃には病気がちで寝込んでいた。母は大衆演劇のファンで、八方が売れてからは地元福島でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で、九州にいた頃には吉本新喜劇の木村進と共演経験もあった。 八方自身の子供の頃の夢は、プロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念(2学年上には主将の高田繁がいる)。高校時代の途中から落語に興味を持ち、友達や親に対しても、古典落語風の言い回しをするほどだったという。〔さりとて、落語家。〕 高校卒業後、一度就職をしたが、たまたま見に行った花月の舞台に2代目桂小米朝(現:月亭可朝)がいたので、弟子入りを懇願する。可朝から「自分はまだ弟子を取る器じゃない」と断られたが、何度も通いつめた結果、劇場の楽屋への出入りが許され、1968年12月、正式に入門。4か月後に開かれた2代目露の五郎兵衛(当時:露の五郎)の落語の勉強会で、前座として初舞台を踏む。演目は『宿屋仇』であった。吉本から正式に貰った仕事での初舞台は、桂きん枝らとともに出演した大須演芸場であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「月亭八方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|