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対馬 嘉三郎(つしま かさぶろう、1836年12月14日(天保7年11月7日〔衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、29頁。〕)- 1914年(大正3年)12月24日〔『札幌人名事典』201頁。〕〔「故 対馬嘉三郎(内務省経由・北海道)」〕〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』408頁では「12月10日」没。〕)は、幕末の弘前藩士、明治期の実業家・政治家。衆議院議員、初代札幌区長。 == 経歴 == 陸奥国津軽郡弘前城下代官町〔『北海道人名辞書』第二版、652-653頁。〕(現弘前市)で弘前藩士・対馬利助の息子として生まれる〔〔。箱館戦争に従軍〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』408頁。〕。弘前藩公用人を経て〔、明治4年7月(1871年)青森県に出仕〔。明治5年4月(1872年)開拓使に転じ十一等出仕となり、同年11月(12月)開拓中主典に昇進〔。会計整理、教育、衛生普及、商工業振興などを担当し〔、1878年7月に退官した〔〔「故 対馬嘉三郎(内務省経由・北海道)」では明治10年(1877年)に退官。〕。 その後、実業界に転じ、開拓使経営の醸造場の払下げを受けて酒造業を経営〔。また、元開拓使官吏・堀基らと共に札幌の商社の嚆矢である「大有社」を創設し、米穀雑貨輸入販売、海産物輸入業を営んだ〔。1889年、北海道電燈舎の設立に尽力し、1891年11月、火力発電により営業を開始し札幌に初めて電灯が灯った〔〔『北海道歴史人物事典』235-236頁。〕。 その他、北海道拓殖銀行設立委員、札幌区会議員、札幌農学校商議員、札幌商業会議所会頭、函樽鉄道監査役などを務めた〔〔。1899年、札幌区が設置されると初代区長に就任し、1902年、区長を辞任して第7回衆議院議員総選挙に北海道庁札幌区から出馬するも落選〔。1903年3月の第8回総選挙では当選し衆議院議員を一期務めた〔〔。その後も出馬をしたが落選し資産を傾け、1912年、資産を整理して東京へ移った〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「対馬嘉三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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