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寿城池(スソンいけ、スソンモッ、)は、大韓民国大邱広域市寿城区にある農業用貯水池として造られた池。現在はベンチや遊覧船のあるレジャー用の池となっている。〔http://tour.daegu.go.kr/jap/see/spot/park/1188110_2788.asp〕 == 歴史 == 岐阜県加納町(現岐阜市)の町長だった水崎林太郎(1868年 - 1939年)は、1914年に開拓農民として朝鮮へ渡った。花栽培などで成功した後、旱魃と洪水によって荒れ未墾地が多かった現地のために土地改良組合長として貯水池を造ることを決め、朝鮮総督府の支援一万二千円(現在の十億円相当)と私財を投じ、十年の歳月をかけて築造工事を行い寿城池を築造した。 池は6万坪、池により荒野から美田に変わった土地は250万坪。水崎農園では花や野菜、リンゴ、米、麦など様々な作物をつくり、多くの韓国の農民が働きに来たり韓国の花屋が毎日のように買い付けにやって来たりした。寿城地区で1、2を争う大地主だった徐寿仁とは寿城池や水田を力を協せて造った終生の友であり、三男の徐彰教が林太郎の墓を守った〔 懐かしの大邱、想い出の人々・・・・・ 水崎弘三(岐阜市、1935年生) 〕。 林太郎は1939年12月までこの池を管理し、〔미즈사키린타로 - 조선닷컴 Blog 뉴스 〕死後は遺言に従って寿城池を見下ろす朝鮮式の墓に埋葬された。日本の敗戦後に農民が世話をしてきた歳月の中で墓地が流失し墓碑だけが残ったが、林太郎と懇意だった韓国人の家族により墓が補修された。その後顕彰碑が立てられ毎年忌日には追悼式が執り行なわれている。〔대구·경북 "수성못 덕분에 홍수·가뭄 극복했지요" - 1등 인터넷뉴스 조선닷컴 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寿城池」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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