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寿好堂 よし国(じゅこうどう よしくに、生没年不詳)とは、江戸時代後期の大坂の浮世絵師。 == 来歴 == 松好斎半兵衛及び蘭英斎芦国の門人と推定される。姓は高木または高城。画姓として豊川、高を使用し、寿好、芦麿、芦丸、よし国、芳洲、寿好堂、寿好亭、寿公堂などと号す。大坂の人。文化10年(1813年)から天保3年(1832年)にかけて、多くの役者絵を描いている。文化10年(1813年)3月の大坂中の芝居『伊勢音頭恋寝剣』に取材した大判2枚続の「みつぎ 中村歌右衛門」及び「おこん 中山よしを」辺りから寿好と称して作画をしている。また、同じく文化10年(1813年)3月の同じ芝居『伊勢音頭恋寝剣』に取材した大判の錦絵「福岡貢 中村歌右衛門」において、芦麿画と落款している。そして文化13年(1816年)3月の大坂角の芝居「三月開嬉心船橋」に取材した大判の錦絵「こし元巻絹 藤川花友、はし守惣八 市川蝦十郎」に寿好改よし国画と記し、同じく文化13年(1816年)3月の大坂角の芝居『其九絵彩色桜』に取材した8枚組の合作のうちの1枚に芦丸改よし国画と記していることから、文化10年(1813年)頃から文化13年(1816年)3月まで、寿好、芦麿(芦丸)の名を使用した同一人物が、よし国と改名したと捉えられる。 文政4年(1821年)及び文政5年(1822年)の頃に秀作が多く見られる。例として、文政4年(1821年)5月の大坂角の芝居『太平記忠臣講釈』に取材した大判の錦絵2枚組「師直 中村歌右衛門」、「判官 坂東三津五郎」、文政5年(1821年)8月の大坂角の芝居『名作切籠曙』に取材した、同じく2枚組「たるや娘おせん 中村三光」、「里見伊助 中村歌右衛門」などが挙げられ、何れも躍動感の溢れる役者絵である。文化文政期において春好斎北洲に次ぐ技量を有しており、戯画堂芦幸、歌川国広らとともに大坂での役者絵普及に貢献した一人であった。また狂歌師「狂画連よし国」としても活躍しており、役者絵に多くの狂歌を賛に記している。作品は天保頃まで確認されている。よし国の門人に「国」のつく絵師が多く存在し、その多くが狂歌でのつながりを持っており、歌舞伎贔屓、もしくは文化サークル的活動の一つに浮世絵師があったといえる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寿好堂よし国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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