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将司 昂親(まさつかさ こうしん、1984年6月7日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で入間川部屋所属の大相撲力士。本名は小野正仁(おの まさひと)。身長183cm、体重147kg、血液型はA型。得意手は、突き、押し、食い下がり。最高位は西前頭8枚目(2008年9月場所、2010年9月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 == 来歴 == 海鵬、安壮富士、安美錦を輩出した相撲道場「天心館」で幼い頃から相撲を始めた。大戸瀬中学では相撲部に所属し、五所川原農林高校時代には全国大会に出場するなど活躍した。一時は就職を考えたが、相撲部監督から入間川親方(元関脇・栃司)を紹介され、卒業と同時に入間川部屋に入門。2003年1月場所に初土俵を踏んだ。初土俵時には既に身重の夫人がいたという年齢制限設置以後では極めて珍しい所帯持ちの入門者であった。 2003年3月場所には序ノ口で優勝し、翌5月場所でも序二段で終盤まで優勝争いに加わった。初土俵から1年で幕下に昇進。何度か幕下上位で跳ね返されたが、大負けしなかったこともあり、次第に上位でも安定した成績を残せるようになり、2005年7月場所には西幕下3枚目の地位で6勝1敗の好成績を残し、翌9月場所には十両に昇進した。その場所前には妻子がいることを公表したが、その後、離婚した。 2006年1月場所は西十両14枚目で6勝9敗と負け越し、幕下へ陥落。しかし1場所で十両復帰を果たした。そして、その場所は休場もあったが、千秋楽に十両初の勝ち越し、その後は十両に定着した。 2007年5月場所では東十両4枚目に上昇し、新入幕を目指した場所となったが、かかとを痛めてしまい、8日目から11日目まで休場した。翌7月場所は7勝8敗と負け越し、9月場所、11月場所も千秋楽に敗れ負け越したが、2008年1月場所で8勝7敗と1年ぶりの勝ち越しを決めた。この頃から時間一杯の際に塩を大量に撒くようになる。3月場所は自己最多の9勝を挙げた。東十両3枚目で迎えた5月場所は、直前に長男が死亡するという悲運に見舞われたが、9勝6敗で勝ち越し、新入幕の7月場所では前頭16枚目で10勝5敗と、10勝を目指すという場所前の宣言通りの結果を残した。9月場所から下の名を死亡した長男と同じ「昂親(こうしん)」と改名した。その後は故障が多く、十両での土俵が多くなっている。2010年7月場所では西十両3枚目の位置で13勝2敗の成績を挙げ、自身初となる十両優勝を果たした。9月場所に再入幕して西前頭8枚目に上昇したが、巡業中に左足首を痛めたことが原因でその場所を全休し、十両に陥落した。 2010年に再婚。前妻との子1人、現妻の連れ子2人、現妻との子1人を合わせて4児の父となった。 4月1日、大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた〔八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日〕。この処分について「全部がおかしすぎる。受け入れなかったら、これ以上重い処分にすると、理事長から言われた」とコメントした〔「おかしすぎる」「納得できない」…処分の力士から不満続々 スポーツニッポン 2011年4月1日〕。今後、相撲協会を提訴する見通しとされたが〔処分に怒り、不信感…提訴?「それは当たり前でしょ」 スポーツニッポン 2011年4月1日〕、4月5日に引退届を提出し受理された〔19人が引退・退職届 谷川親方だけ提出せず MSN産経ニュース 2011年4月5日〕。引退直後、自宅の居間に家族を集めて断髪式を行った。 その後ラジオ番組に出演する時期もあったが現在は会社員。その会社は一度高校卒業直前に内定を得た縁のある会社であったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「将司昂親」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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